禧子内親王

禧子内親王(きしないしんのう、保安3年6月27日(1122年8月1日) - 長承2年10月10日(1133年11月8日))は、鳥羽天皇の第一皇女。生母は中宮藤原璋子(待賢門院)。

来歴

保安3年(1122年)6月27日に生まれ、同8月2日に内親王に宣下され、同17日五十日の儀、同24日准三后とされた。大治元年(1126年)12月27日に着袴。

大治3年(1128年)4月13日、一品に叙された。長承元年(1132年)11月25日、賀茂斎院に卜定された(時の天皇は同母兄の崇徳天皇)。長承2年(1133年)4月18日初斎院に入ったが、9月2日病気のために退下し、10月10日薨去した。

鳥羽上皇・待賢門院の鍾愛を受けた皇女で、両院はたびたび斎院御所に御幸した。大変美しい姫宮であったことが『長秋記』に記されている(源師時は統子を「端正美麗、眼の及ぶ所に非ず」とした上で禧子の容貌を「是又、容顔斎院に勝ち給ふ」と絶賛した)。

参考資料

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内親王(飛鳥時代 - 江戸時代)
大宝律令施行(701年)以後で、内親王と公称した人物とする。
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