島津忠行

曖昧さ回避 島津忠徹」、「島津忠之」、あるいは「島津忠敬」とは別人です。
 
凡例
島津忠行
時代 鎌倉時代中期
生誕 不明
死没 不明
改名 忠仁(初名)→忠行
別名 三郎左衛門尉、大夫判官又二郎、長井大膳大夫、周防守
戒名 心伝院殿即阿本空大居士
幕府 鎌倉幕府
主君 宗尊親王惟康親王
氏族 島津播磨家
父母 父:島津忠綱、母:越後局(高鼻和有景娘)
兄弟 忠行、忠泰、忠景、忠頼、定賢、忠氏
行景、忠幹
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島津 忠行(しまづ ただゆき)は、鎌倉時代中期の武将鎌倉幕府御家人島津忠綱の長男。

生涯

6代将軍宗尊親王に仕える。『吾妻鏡』に「正嘉元年(1257年)十月一日大慈寺供養曼荼羅供己刻将軍家宗尊御出御馬十疋をひきい四は鹿毛忠行之を引いた。時に周防三郎左衛門尉忠行、同四郎左衛門尉忠泰共に之を引いた。」と記されている。

弘安2年(1279年)、播磨国下揖保荘(現在の兵庫県たつの市地頭職を母・越後局より相続し同地に下向。子孫は在地の有力国衆となり、15代忠長までの事跡は『越前島津家文書』に記録されている。

幕府の御家人であった忠行の下揖保庄への下向は、一説では元寇及び『筑紫大道』建設と関連していると考えられている。一度目の文永の役(1274年)後、元の侵攻に備え、軍用道路である『筑紫大道』が建設されたと考えられている。『筑紫大道』の存在は近年の発掘調査及び法隆寺の古文書『法隆寺領斑鳩荘絵図』により確認されている。『法隆寺領斑鳩荘絵図』には『筑紫大道』が斑鳩荘を東西に横切っていたことが示されている。斑鳩荘(聖徳太子が朝廷から譲り受けたものを法隆寺に寄進した播磨国の荘園)斑鳩寺は、忠行が築城した立岡山城(石蜘城)の北500mに位置し、さらに1km北に『筑紫大道』が走っていた[1]

忠行は弘安6年(1283年)までに没し、その後、子の左衛門三郎行景・左衛門六郎忠幹が下揖保荘の相続をめぐって争論したことが「沙弥行照播磨国下揖保荘地頭方紛失状」(『越前島津家文書』所収)によって知られる。また、『越前島津氏正統家譜』には忠行の官名について「三郎左衛門尉・周防守」とあるが、正応4年(1291年)12月7日付将軍家政所下文に「亡父左衛門忠行」云々とあり、また行景と忠幹がいずれも「左衛門」を冠していることから、実際は周防守に任官されず左衛門尉のまま終わったのではないかと推察できる[2]

系図上の扱いについて

『越前島津氏文書』の越前島津氏系図では、忠行は忠綱の嫡子として越前島津氏の2代目とされている。一方、同『越前島津氏文書』の島津氏系図では、忠綱には忠景が繋がっている。『吾妻鏡』によると忠綱には三郎(忠行)、四郎(忠泰)、五郎(忠景)、六郎(忠頼)、七郎(定賢)がいたことが示されているが、歌人・御家人として三男・忠景の評価の高さがうかがえる。『系図纂要』、「島津系図」(『群書類従』所収)、『信濃国太田荘相伝系図』などにも忠景の系統が示されている。

脚注

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  1. ^ 『郷土史たつの』第三版、平成4年、龍野市立図書館
  2. ^ 杉本雅人『越前島津氏-その事歴と系譜』
丸に十字紋播磨島津氏第2代当主島津十文字紋
宗家

忠久????-1227 | 忠時1227-1265 | 久経1265-1284 | 忠宗1284-1318 | 貞久1318-1363 | 総州家と奥州家に分裂

総州家

師久1363-1376 | 伊久1376-1404 | 守久1404-???? | 久世????-1417 | 久林1417-1430 | 断絶

奥州家

氏久1363-1387 | 元久1387-1411 | 久豊1411-1425 | 忠国1425-1470 | 立久1470-1474 | 忠昌1474-1508 | 忠治1508-1515 | 忠隆1515-1519 | 勝久1519-1526 | 貴久1526-1566 | 義久1566-1587 | 義弘1587-1602 | 家久1602-1638 | 光久1638-1687 | 綱貴1687-1704 | 吉貴1704-1721 | 継豊1721-1746 | 宗信1746-1749 | 重年1749-1755 | 重豪1755-1787 | 斉宣1787-1809 | 斉興1809-1851 | 斉彬1851-1858 | 忠義1858-1897 | 忠重1897-1968 | 忠秀1968-1996 | 修久1996-現在

分家・支流

越前家
播磨家
  • 忠行
  • 行景
  • 忠政
  • 忠幹
  • 忠藤
  • 忠兼
  • 忠親
  • 範忠
  • 忠儙
  • 忠秀
  • 忠光
  • 忠勝
  • 忠持
  • 忠長
  • 忠之
  • 義弘
  • 政之
  • 義綱
  • 忠長
  • 良久
  • 忠義…義清
  • 義重
  • 忠正
  • 信夫
  • 昌之
伊作家

久長1281-1317 | 宗久1317-1354 | 親忠1354-1371 | 久義1371-1422 | 勝久1422-1433 | 教久1433-1442 | 犬安丸1442-1458 | 久逸1458-???? | 善久????-1494 | 忠良1494-1526 | 相州家相続

薩州家

用久????-1459 | 国久1459-1498 | 成久1498-???? | 忠興????-1525 | 実久1525-1553 | 義虎1553-1585 | 忠辰1585-1595 | 断絶

相州家
垂水家
豊州家
玉里家

久光1871-1887 | 忠済1888-1915 | 忠承1915-1990 | 忠広1990-現在

加治木家
佐土原家

忠興1610-1637 | 久雄1637-1663 | 忠高1663-1676 | 久寿1676-1690 | 惟久1690-1723 | 忠雅1723-1753 | 久柄1753-1785 | 忠持1785-1816 | 忠徹1816-1839 | 忠寛1839-1896 | 忠亮1896-1909 | 忠麿1909-1926 | 久範1926-1944 | 忠韶1944-1973 | 忠範1973-現在

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