上洛郡

上洛郡(じょうらく-ぐん)は、中国にかつて存在した。晋代から唐代にかけて、現在の陝西省商洛市一帯に設置された。

概要

266年(泰始2年)、京兆郡南部を分割して上洛郡が立てられた。西晋の上洛郡は司州に属し、上洛盧氏の3県を管轄した[1]

439年太延5年)、北魏により荊州が置かれて、上洛郡は荊州に属した。487年(太和11年)、洛州が置かれると、上洛郡は洛州に転属した。北魏の上洛郡は上洛・拒陽の2県を管轄した[2]

いっぽう南朝宋においては、巴郡の民により南上洛郡と北上洛郡が立てられていた[3]

北周のとき、上洛郡は商州に転属した。

583年開皇3年)、が郡制を廃すると、上洛郡は廃止されて、商州に編入された。607年大業3年)に州が廃止されて郡が置かれると、商州は上洛郡と改称された。上洛郡は上洛・商洛洛南豊陽上津の5県を管轄した[4]

618年武徳元年)、唐により上洛郡は商州と改められた。742年(天宝元年)、商州は上洛郡と改称された。758年(乾元元年)、上洛郡は商州と改称され、上洛郡の呼称は姿を消した[5]

脚注

  1. ^ 晋書』地理志上
  2. ^ 魏書』地形志二下
  3. ^ 宋書』州郡志三
  4. ^ 隋書』地理志中
  5. ^ 旧唐書』地理志二
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