1952年の大阪タイガース

1952年の大阪タイガース
成績
セントラル・リーグ2位
79勝40敗1分 勝率.664[1]
本拠地
都市 兵庫県西宮市
球場 甲子園球場
球団組織
オーナー 野田誠三
経営母体 阪神電気鉄道
監督 松木謙治郎
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1952年の大阪タイガース(1952ねんのおおさかタイガース)では、1952年の大阪タイガースの動向をまとめる。

この年の大阪タイガースは、この年から監督選任となった松木謙治郎監督の3年目のシーズンである。

概要

この年からプロ野球でフランチャイズ制が導入され、甲子園球場(1964年から阪神甲子園球場に改称)が新たにフランチャイズに定められた。チームは前年同様後藤次男金田正泰藤村富美男藤村隆男兄弟の主力組をはじめ、この年から外野手に転向の田宮謙次郎白坂長栄などの活躍もあり開幕から好調で、7月には快調に首位を走る巨人に3ゲーム差まで迫ったものの、8月以降は巨人とのゲーム差が広がった。終盤追い上げるものの、時すでに遅く巨人の2連覇を許して最後は2位でシーズンを終えた。それでも2リーグ分裂以降自己最高の成績を残し、松木監督3年目もAクラスを維持した。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 後藤次男
2 白坂長栄
3 金田正泰
4 藤村富美男
5 渡辺博之
6 田宮謙次郎
7 谷田比呂美
8 三船正俊
9 河西俊雄
1952年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 -- 巨人 --
2位 名古屋 2.5 大洋 3.0 大阪 5.5 大阪 3.0 大阪 6.0 大阪 5.5 大阪 3.5
3位 大洋 4.0 大阪 3.0 名古屋 5.5 名古屋 6.5 名古屋 7.0 名古屋 7.0 名古屋 7.0
4位 大阪 4.5 名古屋 5.0 大洋 12.5 大洋 12.5 大洋 18.5 大洋 21.5 大洋 25.0
5位 国鉄 8.0 松竹 18.0 国鉄 21.0 国鉄 25.0 国鉄 31.5 国鉄 31.5 国鉄 33.0
6位 松竹 9.0 国鉄 18.5 松竹 24.5 松竹 29.0 広島 37.5 広島 43.5 広島 44.5
7位 広島 10.5 広島 19.0 広島 25.5 広島 29.5 松竹 39.5 松竹 44.0 松竹 48.0


1952年セントラル・リーグ最終成績
順位 球団 勝率
優勝 読売ジャイアンツ 83 37 0 .692 ---
2位 大阪タイガース 79 40 1 .664 3.5
3位 名古屋ドラゴンズ 75 43 2 .636 7.0
4位 大洋ホエールズ 58 62 0 .483 25.0
5位 国鉄スワローズ 50 70 0 .417 33.0
6位 広島カープ 37 80 3 .316 44.5
7位 松竹ロビンス 34 84 2 .288 48.0

オールスターゲーム1952

詳細は「1952年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
コーチ ファン投票 監督推薦
松木謙治郎 藤村富美男 藤村隆男
梶岡忠義
白坂長栄

できごと

選手・スタッフ

 
大阪タイガース 1952
監督
コーチ
二軍監督
投手
捕手
内野手
外野手

表彰選手

リーグ・リーダー
受賞者なし
ベストナイン
選手名 ポジション 回数
藤村富美男 三塁手 6年連続6度目

出典

  1. ^ “年度別成績 1952年 セントラル・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月30日閲覧。
セントラル・リーグ パシフィック・リーグ
優勝 読売ジャイアンツ 2位 大阪タイガース 優勝 南海ホークス 2位 毎日オリオンズ
3位 名古屋ドラゴンズ 4位 大洋ホエールズ 3位 西鉄ライオンズ 4位 大映スターズ
5位 国鉄スワローズ 6位 広島カープ 5位 阪急ブレーブス 6位 東急フライヤーズ
7位 松竹ロビンス 7位 近鉄パールス
 :日本一  :日本シリーズ出場
各年の阪神タイガース
1930年代
1940年代
1950年代
1960年代
1970年代
1980年代
1990年代
2000年代
2010年代
2020年代
1945年は戦況悪化のため、公式戦を休止。合同チームによる非公式戦のみ開催。
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