田油津媛
田油津媛(たぶらつひめ)は、『日本書紀』に記述される山門郡に居たとされる土蜘蛛の巫女女王。日本書紀では仲哀9年3月丙申に神功皇后により誅殺されたとされるが、事実とすれば4世紀半ば頃の出来事になる。
概要
田油津媛には夏羽という兄がいたが、夏羽率いる軍は妹の死を聞いて逃亡したとされる。
丙申、轉至山門縣、則誅土蜘蛛田油津媛。時田油津媛之兄夏羽、興軍而迎來。然聞其妹被誅而逃之。—『日本書紀』卷第九
田油津媛死亡の報を聞いた夏羽は田川市の本拠地の館に立てこもるも、追って来た神功皇后軍に焼き殺され、その地は夏羽焼き、後に夏焼となり、江戸時代に藩祖小笠原忠真により夏吉と当たらめられた(若八幡神社由緒)
山門郡の女王という記述から、邪馬台国連合の女王卑弥呼(248年死去)の100年後の子孫と見る説もある[1]が、金印が出土した奴国で二万戸、北部九州に確定している他の国が数千戸なのに対し投馬国は五万戸、邪馬台国に至っては七万戸で規模が桁違いであること、音韻学的にも「邪馬台」は「ト」(乙類)に対して、「山門」は「ト」(甲類)であるため、専ら否定されている[誰によって?][要出典]。
福岡県みやま市の老松神社には、田油津媛(葛築目)を葬った蜘蛛塚[注釈 1]とよばれる古墳が残されている。
雨が降ると古墳から血が流れるという言い伝えがある[2]。
脚注
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注釈
出典
関連項目
外部リンク
- 神功皇后(四)御笠と安の地名説話と田油津媛 - 日本神話・神社まとめ
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