浅野三千三

浅野 三千三(あさの みちぞう、1894年明治27年)9月18日 - 1948年昭和23年)4月17日)は、日本薬学者[1][2]化学者である[3]

経歴・人物

千葉県の生まれ[1][3][注釈 1]。東京帝国大学(現在の東京大学)に入学し[1][3]、同大学の教授だった朝比奈泰彦に師事し薬学の研究に携わった[2][3]。卒業後は金沢医科大学(現在の金沢大学医学部)の薬学専攻の教授となり[1][2]、後に薬学の研究及び留学のためドイツに移住し[2]フライブルク大学に入り同大学の教授だったハインリッヒ・ヴィーラントから学ぶ[2]。帰国後は主に生化学の研究について学び[2]1938年(昭和13年)に母校の帝大の伝染病研究所における化学部長及び教授となった[2][1][2]

その後は薬学博士を取得し[3]結核菌等の感染症化学療法剤脂肪酸の合成及び5型の分離[2]ベンゾキノン等の植物色素[2]地衣成分等の多くの研究に携わり[1][2]、特にジフテリア菌の脂肪酸やピルビン酸系地の色素の研究に関してはこの業績により後に受賞している[3]1944年(昭和19年)には同大学の薬学専攻の教授に就任するが[2]、4年後の1948年に過労により死去した[2]

受賞歴

著書

  • 『基礎実験化学』

脚注

注釈

  1. ^ 日本大百科全書では東京府(現在の東京都東京市深川となっている。

出典

  1. ^ a b c d e f “浅野三千三”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus(講談社)株式会社DIGITALIO. 2023年2月17日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “浅野三千三”. 日本大百科全書(小学館)株式会社DIGITALIO. 2023年2月17日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g “浅野 三千三”. 20世紀日本人名事典(日外アソシエーツ)株式会社DIGITALIO. 2023年2月17日閲覧。
金沢大学学長
 
前身諸学校・大学長
 
第四高等学校長
啓明学校長
石川県中学師範学校長
石川県専門学校長
第四高等中学校長
第四高等学校長
 
金沢高等工業学校長
  • 青戸信賢 1920-1941
  • 森慶三郎 1941-1943
  • 横山盛彰 1943-1944
金沢工業専門学校長
  • 横山盛彰 1944-1946
  • 事務取扱 上田嘉明 1946
  • 横山盛彰 1946-1951
 
金沢医科大学附属薬学専門部主事
  • 西村真一郎 1923-1931
  • 浅野三千三 1931-1938
  • 主事/部長 鵜飼貞二 1939-1944/1944-1951
 
  • 倉林源四郎 1944-1945
  • 塩野直道 1945-1946
  • 事務取扱 樫本竹治 1946-1947
  • 庄司彦六 1947-1952
 
金沢医科大学長
第四高等中学校医学部主事
  • 学部長/主事 木村孝蔵 1887-1890/1890-1892
  • 小林広 1892-1894
第四高等学校医学部主事
  • 小林広 1894-1895
  • 高安右人 1895-1899
  • 山碕幹 1899-1901
金沢医学専門学校長
金沢医科大学長
  • 高安右人 1923-1924
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  • 泉仙助 1956-1958
  • 大谷佐重郎 1958-1960
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