木戸脇真也

木戸脇 真也
Maya Kidowaki
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 同・京都府
生年月日 (1969-05-17) 1969年5月17日(55歳)
身長 167 センチメートル
体重 57 キログラム
ツアー経歴
デビュー年 1985年
引退年 1994年
ツアー通算 2勝
ダブルス 2勝
生涯通算成績 269勝211敗
シングルス 152勝116敗
ダブルス 117勝95敗
生涯獲得賞金 286,615 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(1990-92)
全仏 3回戦(1991)
ウィンブルドン(英) 2回戦(1991)
全米 1回戦(1990・91)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 2回戦(1991)
全仏 2回戦(1991・93)
ウィンブルドン(英) 2回戦(1991)
全米 2回戦(1991)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 68位
ダブルス 34位
テンプレート  ■プロジェクト テニス

木戸脇 真也 (きどわき まや、1969年5月17日 - )は、京都府出身の元女子プロテニス選手。WTAランキング自己最高位はシングルス68位、ダブルス34位。WTAツアー通算でダブルス2勝を挙げた。

プロ転向前

四ノ宮テニスクラブでテニスを始め、京都市立音羽中学校在学中の1983年には14歳の若さでジャパン・オープンシングルス予選に主催者推薦で出場。予選1回戦で第1シードのコルネリア・レヒナー(ドイツ)に4-6,2-6のストレートで破れている。1984年から徐々にツアー下部のサーキット大会に出場するようになり、12月の東レ パン・パシフィック・オープン・テニストーナメントシングルス予選には主催者推薦で出場している。中学卒業後、1985年に16歳3ヶ月でプロ転向。この記録は2005年に森田あゆみが15歳1ヶ月でプロ転向するまで最年少プロ登録であった。この年の全日本女子シングルスランキングでは8位につけ、早くも日本女子トップ選手の一人となっていた[1]

プロ転向後

四ノ宮クラブの1年後輩である伊達公子とダブルスを組み活躍。1992年のバルセロナオリンピックも伊達とのペアで出場。佐藤直子、飯田栄らとも組んで多くのタイトルを獲得。

シングルスでも1989年の第1回イザワ・クリスマスオープンで優勝をしている。

1990年から3年間はフェデレーション・カップ(現フェドカップ)日本代表にも選出されている。

脚注

  1. ^ 日本テニス協会. “日本テニス協会:過去の全日本ランキング - 日本テニス協会公式サイト”. 2010年4月3日閲覧。

外部リンク

20・30年代
  • (1924年)鴨井一枝&小林春子
  • (1925年・26年)羽山住江&安宅登美子
  • (1927年・28年)滝口澪子&飯村敏子
  • (1929年)朝吹磯子&小林知子
  • (1930年)戸田定代&増田登志江
  • (1931年)滝口澪子&小林知子
  • (1932年)中村千賀&棚橋糸子
  • (1933年)立花文子&林美喜子
  • (1934年・35年)岡田早苗&山岸久子
  • (1936年)佐々倉久美&原田美智子
  • (1937年)戸田定代&マリー・ホーン
  • (1938年)大浦直子&原久子
  • (1939年)木全豊子&沢田佳
40・50年代
60・70年代
  • (1960年-62年)宮城黎子&福井昭子
  • (1963年)小幡陽子&空野桂子
  • (1964年)ヘルガ・シュルツェ&マーゴット・シュルツェ
  • (1965年)太田智恵子&風呂本操
  • (1966年・67年)小幡陽子&後神澄江
  • (1968年)畠中君代&飯田藍
  • (1969年)畠中君代&村上智佳子
  • (1970年)キャスリーン・ハーター&エヴァ・ルンドクイスト
  • (1971年・72年)畠中君代&村上智佳子
  • (1973年)沢松和子&福岡加余子
  • (1974年)飯田藍&野村貴洋子
  • (1975年)楊正順&雀景美
  • (1976年)佐藤直子&中川清美
  • (1977年)塚本国代&中川清美
  • (1978年)畠中君代&米沢そのえ
  • (1979年)塚本国代&中川清美
80・90年代
00・10年代
男単 •女単 | 男複 • 混複
  • 表示
  • 編集