明道館
明道館(めいどうかん)は、江戸時代後期の安政2年(1855年)1月に福井藩主・松平春嶽が設立した藩校。福井城三の丸の大谷半平(大館兵馬)の屋敷地を御用地として移転させた後に設けられた[1]。その後、文久3年(1863年)に三の丸の北側、濠を隔てた八軒町空き地(元鷹冷場)に移ったのち(~元治1)、足羽川に面した木蔵に移転した(~明治2)[2]。 安政4年(1857年)1月、橋本左内が学監同様となった[3]。明治2年(1869年)5月には、明新館と改称[4]し、福井城内に移転。後の旧制福井中学校、現在の福井県立藤島高等学校へとつながる。
由利公正、関義臣、日下部太郎などを輩出した。理科を教えたウィリアム・グリフィス、熊本から請われた横井小楠なども居た。
脚注
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外部リンク
- 「グリフィスの知人アルフレド・ルーシィ(Alfred Lucy)について書かれた資料はあるか。」 - レファレンス協同データベース
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