日本とネパールの関係 (にほんとネパールのかんけい、ネパール語 : नेपाल र जापानको सम्बन्ध 、英語 : Japan–Nepal relations )では、日本 とネパール との関係について記述する。両国間において正式に国交が樹立されたのは1956年 のことだった。
両国概要 歴史 ネパール、カトマンズのボダナート にある河口訪問の記念碑 チャンドラ・シャムシェル首相 近代日本とネパールの関係は、1899年 、日本人僧侶の河口慧海 によるチベット での仏典収集のため、ネパールに入国したことから始まる[2] 。また、同時代の1902年 には、ネパール政府、チャンドラ・シャムシェル 首相が8人の留学生を日本へ派遣したことは、日本とネパールの交流のさきがけ的な存在である[5] 。その後、両国の交流は、ネパールに強い影響力を持っていたイギリス と日本が戦った第二次世界大戦 において一時中断したものの、1956年 に正式な外交を樹立し、政府・民間共に再開させ、現在に至る[2] 。 2008年 にネパールは、王制を廃止し、政治体制を変化させたが、それまでの皇室・王室間の交流や議員交流、1998年 11月にギリジャー・プラサード・コイララ 首相がネパールの民選首相として初訪日、2000年8月には森 総理が日本の総理大臣として初めてネパールを訪問したなどの交流の積み重ねもあり、日本との関係は良好な状態を保っている[2] 。また、2008年 4月、2013年 11月の制憲議会選挙に選挙監視団を派遣した。
政治 前述のとおり日本とネパールの政治首脳の外交交流は、1998年11月にコイララ 首相がネパールの民選首相として初訪日し、2000年8月には森喜朗 総理が日本の総理大臣として初めてネパールを訪問した。2007年 10月10日 、サハーナ・プラダン 外相 は来日し、日本の高村正彦 外相と公式に会談した。その中でプラダン外相は日本の投票箱の供与や国連監視団の協力に感謝し、日本の国連常任理事国 入りを支持した[6] 。 また、毛沢東 派のプラチャンダ 議長は政権就任前、日本にガジュレル 政治局員を非公式に派遣した。ガジュレルは、日本・ネパール友好議員連盟会長の二階俊博 衆議院議員 や当時の木村仁 外務副大臣と会談し、また、共同通信 のインタビューも受けた[7] 。 2008年 7月16日 には制憲議会発足後初めての要人訪問として日本から宇野治 外務 大臣政務官 がネパールを訪問、ギリジャー・プラサード・コイララ 首相のほか、毛派のプラチャンダ議長ら、各党の幹部と個別に会談し[8] 、2012年 4月には玄葉光一郎 外相が日本の外務大臣として35年ぶりにネパールを訪問した[2] 。また、橋本龍太郎 元総理は、日本山岳会員でもあり、3度ネパールを訪れ、交流を深めた。
軍事 日本国政府は、国連からの国連ネパール政治ミッション(UNMIN)の派遣要請を受け、2007年から2011年までの約4年間計24人をネパールに派遣し、包括和平合意の規定のもと武器および兵士の管理の監視や制憲議会選挙の計画、準備、実施、監視などを行った[9] 。
皇室と王室の関係 1960年、1975年に皇太子明仁親王 夫妻(当時。令和時代 の上皇上皇后)がネパールを訪れたほか、数名の皇族がネパールを公式訪問している。1978年、1983年および1985年にはビレンドラ 国王夫妻が日本を訪問したほか、幾度か王族が日本を訪問している。2008年にネパールで王政が廃止されて以降、両者の間に公式な接触はない。
経済 1999年から2014年11月現在に至るまで、岡山県に本社を置く日本の通信販売会社である山田養蜂場 は、シャム・バハドゥル・ダンゴルの協力のもと、ネパールの首都カトマンズ近郊に約45万本の木を植樹してきた。さらに、2013年からは横浜国立大学名誉教授宮脇昭 の指導に基づき森林再生活動を行っている[10] 。 2014年2月、JICA投資専門家がネパール投資庁を訪問した[11] 。
文化 教育 国・地域別の在日留学生〔出典:日本学生支援機構(JASSO)〕 年度 1位 2位 3位 4位 5位 2012 0 86,324人 16,651人 0 4,617人 0 4,373人 2,451人 2013 0 81,884人 15,304人 0 6,290人 0 4,719人 3,188人 2014 0 94,399人 26,439人 15,777人 10,448人 6,231人 2015 0 94,111人 38,882人 16,250人 15,279人 7,314人 2016 0 98,483人 53,807人 19,471人 15,457人 8,330人 2017 107,260人 61,671人 21,500人 15,740人 8,947人 2018 114,950人 72,354人 24,331人 17,012人 9,524人 2019 124,436人 73,389人 26,308人 18,338人 9,584人 2020 121,845人 62,233人 24,002人 15,785人 7,088人 2021 114,255人 49,469人 18,825人 14,247人 5,792人 2022 103,882人 37,405人 24,257人 13,701人 5,763人
1902年、ネパール政府は、8人の留学生を日本に派遣した。この8人の学生らは、17人の側近と共に近代ネパール人として初めての外国訪問として日本に到着した[5] 。そして、8人の留学生たちは、東京で下宿し、東京帝国大学(現在の東京大学 工学部 )、東京高等工業学校(現在の東京工業大学 )、農科大学(現在の東京大学農学部 )の3つの国立大学に入学し、軍事工学、鉱山学、農学、機械工学などを学んだ[5] 。このうちの一人は、日本の柿 、栗 、菊 、藤 をネパールに初めて持ち帰り、栽培に成功した[12] 。1937年にジュッダ・シャムシェル 首相は日本への再度留学生の派遣を提案したが、第二次世界大戦勃発のため実現しなかった[13] 。
戦後、日本とネパールの関係は1956年に国交を樹立し、1966年、ラーム・バルマと大向良治らによりカトマンズにネパール初の日本語学校を設立、1968年には、トリブバン大学 国際言語キャンパスの中に日本語科が設置された[14] 。また、1973年には、日本留学生同窓会ネパールが設立された。これは、南アジア で一番古い日本留学生同窓会である。 2011年5月現在、在日ネパール人留学生が、2016人滞在し、総外国人留学生数の約1.5%程度の割合を占め、これらの学生の内約40%が日本国政府・文部科学省からの奨学金を受けることのできた国費留学であり、日本の大学教授からの推薦で文部科学省の国費留学により来日する学生は毎年約20人である。在ネパール日本国大使館も毎年国費留学生を募集しているが、5人から8人程度と少ない。
日本へのネパール人留学生は、南アジアの中で毎年増加傾向にある[15] 。2015年には、在日ネパール人留学生の人数が16,250人に達して、在日留学生の国籍別で韓国を抜きネパールが中国とベトナムに次ぐ第3位に躍り出た(2015年の在日韓国人留学生は15,279人)[16] 。2016年の在日ネパール人留学生は19,471人で第3位を維持[17] 、2017年には在日ネパール人留学生が21,500人となり、第3位を維持しつつ初めて2万人の大台を超えた[18] 。
一方で、2012年6月現在、ネパールにおける、日本人を含めた外国人留学生の受け入れとしてネパール初の国立大学でもあるトリブバン大学が7人の日本人とその他129人の外国人にネパール語やネパールの文化を教授している[19] 。
友好都市 外交使節 駐ネパール日本大使 在ネパール日本大使 開設1968 吉良秀通1968- N/A 土屋南夫-1981 西沢憲一郎1981-1984 金子一夫1984-1987 有地一昭1987-1991 伊藤忠一1990-1994 吉田重信1994-1997 柳瀬友彦1997-1999 小嶋光昭 1999-2001 神長善次2001-2004 平岡邁2004-2007 水野達夫 2007-2011 高橋邦夫2011-2013 小川正史 2013-2018 西郷正道 2018-2021 菊田豊2021- カテゴリ
駐日ネパール大使 バーラット・ラージ・バンダーリー(1965年~) ヤダブ・プラサード・パント(英語版) (1974~1979年、信任状捧呈 は5月16日[20] ) ナラヤン・プラサド・アルジャル(1989年以前[21] ~1991年[22] ) ケダル・バクタ・マテマ(1996~2002年[23] 、信任状捧呈は11月28日[24] ) (臨時代理大使 )モハン・クリシュナ・シュレスタ(2002~2004年) ラメシュ・アナンダ・ヴァイデャ(2004~2006年、信任状捧呈は3月11日[25] ) ガネシュ・ヨンザン・タマン(2007~2011年[26] 、信任状捧呈は12月13日[27] ) (臨時代理大使)ドゥルガ・バハドゥール・スベディ (2011年) マダン・クマール・バッタライ(2011~2016年、信任状捧呈は12月15日[28] ) (臨時代理大使)クリシュナ・チャンドラ・アリヤル(2016~2017年) プラティヴァ・ラナ(2017~2021年、信任状捧呈は6月22日[29] ) (臨時代理大使)アンビカ・ジョシ(2021~2022年) ドゥルガ・バハドゥール・スベディ (2022年~、信任状捧呈は11月7日[30] ) 脚注 注釈 ^ ネパール政府中央統計局による人口調査の結果を優先。 ^ ネパール政府中央統計局の人口からの計算による値。 ^ 日本では神道と仏教を両方信仰することが広く行われているため、合計した数字は100%を超える 出典 ^ a b c “ネパール連邦民主共和国”. 外務省. 2020年5月15日 閲覧。 ^ a b c d e f g h i j k “ネパール基礎データ”. 外務省 (2014年7月1日). 2014年9月10日 閲覧。 ^ [1] ^ “防衛関係費”. 防衛省 (2013年2月2日). 2014年9月10日 閲覧。 ^ a b c “明治のネパール人留学生日本到着”. 外務省 (2002年). 2014年9月10日 閲覧。 ^ 外務省:高村外務大臣とプラダン・ネパール外務大臣の会談について ^ 共同通信2008年6月18日 16:20 ^ 宇野外務大臣政務官のネパール訪問 ^ “国連ネパールミッション”. 外務省 (2011年). 2014年9月10日 閲覧。 ^ “植樹活動 ネパール植樹活動。健康食品、化粧品、鏡野町の自然や風景|山田養蜂場”. 株式会社山田養蜂場. 2014年11月3日 閲覧。 ^ “ネパールの概要”. JICA (2013年). 2014年9月10日 閲覧。 ^ “ネパールに帰る”. 外務省 (2002年). 2014年9月10日 閲覧。 ^ “ジュッダ・シャムシェル企て”. 外務省 (2002年). 2014年9月10日 閲覧。 ^ “日本語教育国・地域別情報2013年度ネパール”. 国際交流基金 (2013年). 2014年9月10日 閲覧。 ^ “日本留学同窓会ネパールの活動”. 日本留学同窓会ネパール (June 2012年). 2014年9月10日 閲覧。 ^ 平成27年度外国人留学生在籍状況調査結果 - JASSO ^ 平成28年度外国人留学生在籍状況調査結果 - JASSO ^ 平成29年度外国人留学生在籍状況調査結果 - JASSO ^ “日本留学同窓会ネパールの活動”. 日本留学同窓会ネパール (June 2012年). 2014年9月10日 閲覧。 ^ 外務省 情報文化局『外務省公表集(昭和四十九年)』「六、儀典関係」「12 新任駐日ネパール王国大使の信任状捧呈について」 ^ List of Official Mourners Representing Foreign Countries and International Organizations at the Funeral Ceremony of Emperor Showa | Diplomatic Bluebook 1989 (英語) ^ ご引見(平成3年) - 宮内庁 ^ ご引見(平成14年) - 宮内庁 ^ 信任状捧呈式(平成8年) - 宮内庁 ^ 新任駐日ネパール王国大使の信任状捧呈について | 外務省 - 2004年3月10日 ^ 王制崩壊後も留任。2011年 3月には、東日本大震災 の発生を受けて菊田真紀子 外務大臣政務官 を表敬訪問し、ネパールから日本への復興支援などを申し出ている。外務省: 菊田外務大臣政務官へのタマン駐日ネパール大使の表敬(ネパールからの支援物資) ^ 外務省: 新任駐日ネパール大使の信任状捧呈について - 2007年12月13日 ^ 外務省: 新任駐日ネパール連邦民主共和国大使の信任状捧呈 - 2011年12月15日 ^ 駐日ネパール大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2017年6月22日 ^ 駐日ネパール大使の信任状捧呈 | 外務省 - 2022年11月7日 関連項目 外部リンク 在ネパール日本国大使館 駐日ネパール大使館、同 (ネパール語) 、同 (英語) アジア
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