斎藤てい

斎藤 てい(さいとう てい、1907年2月8日 - 1991年1月23日)は、日本政治家衆議院議員(1期)。

来歴

和歌山県出身。女子実業補修学校から大阪八千代保険専修学校卒。弁護士の斎藤元秀と結婚、主婦業に専念した。戦時中は東京都滝野川区国防婦人会の役員をしていた。1946年第22回衆議院議員総選挙で和歌山県から日本進歩党公認で立候補して当選し、同党婦人部副部長を務めた。翌1947年総選挙では和歌山1区から民主党公認で立候補して落選した。その後は再び選挙に立候補することはなかった。晩年は東京に移り杉並区で「霊波健康法」を夫とともに行っていた[1]。1991年死去。

脚注

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  1. ^ 『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』242頁

参考文献

  • 『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年11月。
  • 岩尾光代著『新しき明日の来るを信ず-はじめての女性代議士たち』(日本放送出版協会、1999年)ISBN 4140804394