小川一平

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小川 一平(おがわ いっぺい、1902年明治35年)5月16日 - 1982年昭和57年)8月8日)は、日本の実業家政治家衆議院議員

来歴

政治家小川平吉の長男として長野県諏訪郡富士見村(現富士見町)に生まれる。東京高等師範付属小学校、旧制第一高等学校を経て、東京帝国大学政治学科卒業。昭和4年(1929年)三菱銀行に入行、同17年(1942年)に退社、同年戦時生活相談所常任理事に就任し、岡谷市に支所を設けて、首都圏から諏訪地方への工場疎開を推進した。

同21年(1946年)第22回衆議院議員総選挙に長野県から出馬し当選。同26年(1951年)後楽園スタヂアム取締役、同32年(1957年)常務、同42年(1967年)副社長、同46年(1971年)花月園観光社長を歴任した。著書に「小川一平回顧録」がある。

弟の小川平二、長男の小川元も衆議院議員。

系譜

小川家

長野県諏訪郡富士見町東京都) 
詳細は「小川平吉」を参照

出典

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