マックス・フィードラー
マックス・フィードラー Max Fiedler | |
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基本情報 | |
生誕 | 1859年12月21日 |
出身地 | ザクセン王国、ツィッタウ |
死没 | (1939-12-01) 1939年12月1日(79歳没) スウェーデン、ストックホルム |
学歴 | ライプツィヒ音楽院 |
ジャンル | クラシック音楽 |
職業 | 指揮者 作曲家 ピアニスト |
担当楽器 | ピアノ |
アウグスト・マックス・フィードラー(August Max Fiedler, 1859年12月21日 - 1939年12月1日)は、ドイツの指揮者・作曲家・ピアニスト。
略歴
オーバーラウジッツのツィッタウに生まれる。音楽教師であった実父カール・アウグストより最初の音楽教育を受けた後、1877年から1880年までライプツィヒ音楽院でピアノと指揮法を学び、その間グスタフ・アルブレヒトに師事した。若い頃にヨハネス・ブラームスの交響曲をブラームス自身の前で指揮したことがあり、ブラームスは講評を求められると黙っていなかったが、フィードラーの解釈には不平不満を並べなかった[1]。1882年から1908年までハンブルク音楽院に教授として勤務するかたわら、1904年にハンブルク・フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任した。演奏旅行も精力的にこなし、1905年にニューヨーク・フィルハーモニーを指揮してアメリカ合衆国にデビューし、1907年にはロンドン交響楽団を指揮している。1908年に渡米してボストン交響楽団の音楽監督に就任した。1912年にドイツに戻ると1934年までエッセンの音楽総監督に就任した。最晩年はベルリンやストックホルムに客演指揮者に迎えられ、1939年にストックホルムに客死した。
作曲家としては、交響曲、序曲、ピアノ五重奏曲、弦楽四重奏曲、ピアノ曲、歌曲を手掛けた。
註記
- ^ David Watkin in the liner notes to Original Brams compact disc published by Beulah 2000
外部リンク
- Max Fiedler (Porträt in der Zeit, 8. Januar 1960)
- マックス・フィードラーの著作およびマックス・フィードラーを主題とする文献 - ドイツ国立図書館の蔵書目録(ドイツ語)より。
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ボストン交響楽団常任指揮者・音楽監督等 | |
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ジョージ・ヘンシェル1881-1884 / ヴィルヘルム・ゲーリケ1884-1889 / アルトゥル・ニキシュ1889-1893 / エーミール・パウア1893-1898 / ヴィルヘルム・ゲーリケ1898-1906 / カール・ムック1906-1908 / マックス・フィードラー1908-1912 / カール・ムック1912-1918 / アンリ・ラボー1918-1919 / ピエール・モントゥー1919-1924 / セルゲイ・クーセヴィツキー1924-1949 / シャルル・ミュンシュ1949-1962 / エーリヒ・ラインスドルフ1962-1969 / ウィリアム・スタインバーグ1969-1972 / 小澤征爾1973-2002 / ジェームズ・レヴァイン2004-2011 / アンドリス・ネルソンス2014- |