パシフィック・ソリューション

パシフィック・ソリューション: Pacific Solution)とは、オーストラリアへの不法入国者や密航者を南太平洋諸国に受け入れさせ、見返りにオーストラリアが経済援助を行うという政策[1]

概要

1990年代末以降、オーストラリアには年間3000人以上の不法入国者や密航者が押し寄せ、政治問題となっていた[1]

2001年9月、ノルウェー船籍の貨物船のタンパ号がアフガニスタンからの難民434人を収容し、難民はオーストラリアに対して庇護を求めた[2]。これに対し、当時のジョン・ハワード政権はクリスマス島に向かうタンパ号に対して海軍を出動させることで入国を拒否し、難民の受け入れを拒否する姿勢を取った[3]

詳細は「タンパ号事件」を参照

この事態を受け、オーストラリア政府は難民の審査と収容をナウルが引き受けることで合意に達したと発表した[3]。当時のナウルは危機的な経済状況にあり、難民の審査と収容を行うのと引き換えにオーストラリアから多額の経済援助を受けることとなった[3]

しかし、これらの政策は人道援助団体などから批判された[3]。収容の長期化に対して難民が2003年末にハンガーストライキなどで抗議を行うと、国際社会から非難が集まった[4]。一方で、難民の受け入れを明確に拒否した政府は世論から支持を受けた[3]

2007年にオーストラリアで労働党ケビン・ラッド政権が成立すると、新政権は人道的見地から収容所の閉鎖を決定し、収容所は2008年に閉鎖された[3][5]。しかし2012年には収容施設を再開しオーストラリアの援助と引き換えに難民を受け入れている[6][7]

脚注

出典

  1. ^ a b 永野隆行 2010, p. 233.
  2. ^ 永野隆行 2010, pp. 233–234.
  3. ^ a b c d e f 永野隆行 2010, p. 234.
  4. ^ 小川和美 2010, p. 406.
  5. ^ 小川和美 2010, p. 407.
  6. ^ “中東からナウルへ、難民ら将来描けず絶望 豪が入国阻止”. 産経新聞. 2020年5月10日閲覧。
  7. ^ “ナウルの難民収容施設に批判、「まるで刑務所」 豪が反論”. CNN. 2020年5月10日閲覧。

参考文献

  • 小川和美「ナウル」『オセアニアを知る事典』(新版)平凡社、2010年5月19日。ISBN 978-4-582-12639-6。 
  • 永野隆行「パシフィック・ソリューション」『オセアニアを知る事典』(新版)平凡社、2010年5月19日。ISBN 978-4-582-12639-6。 

関連項目