ソー・ウィン

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ソー・ウィン
စိုးဝင်း;
Soe Win
ソー・ウィン(2004年撮影)
生年月日 1947年5月10日
出生地 シャン州タウンジー
没年月日 (2007-10-12) 2007年10月12日(60歳没)
死没地 ヤンゴン
前職 ミャンマー連邦首相国家平和発展評議会(SPDC)第一書記
称号 大将

在任期間 2004年10月19日 - 2007年10月12日
SPDC議長 タン・シュエ
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ソー・ウィンSoe Win1947年5月10日 - 2007年10月12日)は、ミャンマー軍人政治家。第13代首相大将

軍事政権の最高実力者である国家平和発展評議会(SPDC)議長 タン・シュエの懐刀で、2003年5月に民主化運動指導者 アウンサンスーチーが身柄を再拘束された時の司令官といわれる。

経歴

北西軍管区司令官、空軍司令官などを歴任し、2003年8月、SPDC第一書記に就任。 2004年10月、前任の首相 キン・ニュンの解任を受けて、後任の首相に就任した。 首相就任時の序列はキン・ニュンに次ぐ第4位。

病気治療のため、2007年2月末よりシンガポールにて入院していたが体調は安定せず、同年5月18日に首相の座を降り、SPDC第一書記のテイン・セインに首相代行を委ねていた。同年10月1日にミャンマーに帰国するも、同月12日にヤンゴン市内の軍病院で死去[1]。病名は明らかにされていないが白血病と見られている。

参考

  1. ^ “ミャンマーの首相死去、軍政の強硬派 政局への影響なし”. 朝日新聞 (2007年10月12日). 2007年10月13日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年6月22日閲覧。
2021年ミャンマークーデター以降、ミャンマーには国家行政評議会連邦議会代表委員会・国民統一政府の二つの政府が並立している。
本表では国家行政評議会の人事に「」、連邦議会代表委員会・国民統一政府の人事に「」と表記している。
首相

ウー・ヌ1948-1956 / バー・スエ1957 / ウー・ヌ1957-1958 / ネ・ウィン1958-1960 / ウー・ヌ1960-1962 / ネ・ウィン1962-1974 / セイン・ウィン1974-1977 / マウン・マウン・カ1977-1988 / トゥン・ティン1988 / ソウ・マウン1988-1992 / タン・シュエ1992-2003 / キン・ニュン2003-2004 / ソー・ウィン2004-2007 / テイン・セイン2007-2011 / 廃止2011-2021 / ミン・アウン・フライン2021-(暫定) / マン・ウィン・カイン・タン(英語版) 2021-

国家顧問

アウンサンスーチー2016-2021 / :廃止2021- / アウンサンスーチー2021- / マン・ウィン・カイン・タン(英語版)2021(代行)

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