スルターン・ビン・アフマド
スルターン・ビン・アフマド سلطان بن أحمد | |
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オマーン国王 | |
在位 | 1792年 - 1804年 |
死去 | 1804年 ゲシュム島 |
子女 | サリーム(英語版) サイード |
家名 | ブーサイード家 |
王朝 | ブーサイード朝 |
父親 | アフマド・ビン・サイード・アル=ブーサイーディ(英語版) |
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スルターン・ビン・アフマド・アル・ブーサイーディー(1804年没)はオマーン・ブーサイード朝4代目のスルターン(在位: 1792年 - 1804年)。
即位まで
スルターン・ビン・アフマドはイマームにしてスルターンのアフマド・ビン・サイード・アル=ブーサイーディ(英語版)の息子として生まれた。1781年初めに彼とその兄弟サイーフはマスカット港を防衛していたアル・ミーラーニー要塞(アラビア語版)およびアル・ジャラーリー要塞(アラビア語版)を支配するに至った。マスカット知事が要塞を取り戻そうとしたとき、スルターンとサイーフは町を砲撃した。2人の兄弟は強力なシャイフ・サルカール(Sheikh Sarkar、1781年4月に首都に進軍した)の協力を得た。彼らの父は恩赦に同意し、反抗的な息子達による両要塞の保有を認めた。後に彼は気が変わり、アル・ミーラーニー要塞を取り戻したが、兄弟はその後も数ヶ月にわたってアル・ジャラーリー要塞を保持し続けた。その後に彼らは自身の兄弟サイード・ビン・アフマド(アラビア語版)を誘拐した[1]。彼らの父イマームは1782年1月マスカットに急行した。ミーラーニー要塞の司令官に対しジャラーリー要塞へ火を放つよう命令し、自らの艦隊を要塞の東側から攻撃に合流させた。その最中にサイード・ビン・アフマドは看守を買収し、脱出に成功した。孤立し人質を失った兄弟は降伏した[2]。イマームはさらなる反乱を防ぐため、サイーフを捕らえ監視下に置いた[3]。
1783年、父の死に伴いサイード・ビン・アフマド(アラビア語版)がイマームに選ばれ首都ルスターク(アラビア語版)の領有権を得た。スルターンとサイーフはシャイフ・サルカールに対し、王位を手に入れる為シェマル族の協力を得たいと依頼した。シャイフはアル・ジャジーラ・アル・ハムラー(アラビア語版)、シャールジャ、ラムス(アラビア語版)、ホール・ファッカーン(全て今日のアラブ首長国連邦領)を攻略した。サイードは反撃したが、これらの町を取り戻せなかった。しかし兄弟は国外に逃れた方が安全だと感じ始めた。サイーフは東アフリカに行き、同地で領主になろうとしたもののまもなく死亡した[4]。スルターンはバルーチスターン・マクラーン(ウルドゥー語版)海岸のグワーダルに逃れた。同地の領主は彼を保護し、グワーダルを与えた[5][注釈 1]。
サイード・ビン・アフマドは急速に支持を失っていった。1785年の終り近く、豪族の一団が彼の兄弟カイス・ビン・アフマド(アラビア語版)をイマームに選んだ。この反乱はすぐに収束した[7]。1786年、サイードの息子ハマド・ビン・サイード(アラビア語版)はなんとかマスカットおよびその要塞を手にした。オマーン内の要塞は次々ハマド側についた。サイードは世俗権力を全て失うことになった[8]。ハマドはシャイフの称号を手にし、マスカットに宮廷を置いた。サイード・ビン・アフマドはルスタークに留まり、依然としてイマームの称号を名乗り続けたが、これは権力の伴わない純粋に宗教的な称号であった。ハマドは1792年に亡くなった[6]。
治世
バルーチスタンからオマーンに舞い戻ったスルターン・ビン・アフマドはマスカットを手にした。身内争いを避けるため、バルカーでの会談にて兄弟サイードのイマームとしての地位を認め、またカイス・ビン・アフマドにソハールを割譲した。1798年、スルターンはイギリス東インド会社と条約を締結した。1800年にはワッハーブ派が北部から侵攻し、ブライミのオアシスを占領してスルターンの兄弟カイスをソハルに包囲した[6]。
スルターンは1804年、バスラ遠征の途上で亡くなった。彼はムハンマド・ビン・ナスル・ビン・ムハンマド・アル=ジャブリー(Mohammed bin Nasir bin Mohammed al-Jabry)を摂政および2人の息子サリーム(英語版)およびサイードの後見人に指名した[9]。
脚注
注釈
出典
- ^ Miles 1919, p. 279.
- ^ Peterson 2007, p. 72.
- ^ Miles 1919, p. 280.
- ^ Miles 1919, p. 281.
- ^ Miles 1919, p. 282.
- ^ a b c Thomas 2011, p. 224.
- ^ Miles 1919, p. 282–283.
- ^ Miles 1919, p. 283.
- ^ Miles 1919, p. 304.
参考文献
- Miles, Samuel Barrett (1919). The Countries and Tribes of the Persian Gulf. Garnet Pub.. ISBN 978-1-873938-56-0. https://books.google.com/books?id=dbsOoPpZiSEC&pg=PA281 2013年11月19日閲覧。
- Peterson, John (2007). Historical Muscat: An Illustrated Guide and Gazetteer. BRILL. ISBN 978-90-04-15266-3. https://books.google.com/books?id=gNu4_uHo7CQC&pg=PA72 2013年11月19日閲覧。
- Thomas, Gavin (2011-11-01). The Rough Guide to Oman. Penguin. ISBN 978-1-4053-8935-8. https://books.google.com/books?id=qKAtjJoXXpwC&pg=PA224 2013年11月11日閲覧。
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