ゴードン・ブラウン

ゴードン・ブラウン
Gordon Brown
生年月日 (1951-02-20) 1951年2月20日(73歳)
出生地 スコットランドの旗 スコットランドグラスゴー
出身校 エディンバラ大学
所属政党 労働党
配偶者 サラ・マコーリー
公式サイト The Office of Gordon & Sarah Brown

内閣 ブラウン内閣
ブラウン第1次改造内閣
ブラウン第2次改造内閣
ブラウン第3次改造内閣
在任期間 2007年6月28日 - 2010年5月11日
女王 エリザベス2世

イギリスの旗 財務大臣
内閣 第1次ブレア内閣
第2次ブレア内閣
第3次ブレア内閣
第3次ブレア改造内閣
在任期間 1997年5月2日 - 2007年6月27日

イギリスの旗 庶民院議員
選挙区 カークカルディ・カウデンビース
ダンファームリン東(1983-)
当選回数 6回
在任期間 1983年6月9日 - 2015年3月30日

その他の職歴
労働党党首
2007年6月24日 - 2010年5月11日
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ジェイムズ・ゴードン・ブラウンJames Gordon Brown, 1951年2月20日 - )は、イギリスの元政治家

財務大臣、第74代首相、労働党第19代党首(2007年 - 2010年)。

1983年から2005年まではダンファームリン東区選出の国会議員を務め、スコットランドの選挙区改変が行われた2005年の総選挙以降はカーコーディーおよびカウデンビース区選出の国会議員を務めている。1997年5月から2007年6月までトニー・ブレア政権で財務大臣を務める。財務大臣としての在任期間は、19世紀の政治家ニコラス・ヴァンシタート(英語版)に次ぐ長さとなった(ただし首相が兼任した場合を除く)。

2007年6月24日開催の英国労働党大会で党首に選出され、同年6月27日に首相の座を退いたトニー・ブレアの後継としてイギリスの首相に任命された。

2010年5月11日、総選挙結果の責任を取り、首相および労働党党首を辞任し、13年に及ぶ労働党政権に幕を引いた。2014年12月1日、政界引退の意向を表明した。

来歴

幼少期から政治家になるまで

1951年スコットランドグラスゴー生まれ。父はスコットランド長老派教会牧師であった。ファイフ州のカーコーディー高等学校(英語版)在籍時にラグビーの競技中の事故で網膜剥離を患い左目を失明しており、現在は義眼を用いている。成績優秀により16歳でエディンバラ大学へ進学し歴史学を専攻、優等の成績で卒業した。1982年に労働党左派の政治家ジェイムズ・マクストン(英語版)に関する研究でエディンバラ大学よりPh.D.を取得している。

学生の身分でエジンバラ大学の運営評議会の議長 (Rector) に選出された他[1]、左派新聞のレッド・ペーパー・オン・スコットランドの編集長も務めた。エジンバラ大学での臨時講師を経てグラスゴー工科大学(英語版)にて政治学の講師を務めた後、スコティッシュ・テレヴィジョン(英語版)ジャーナリストテレビプロデューサーとして働いた。1979年の総選挙にはエジンバラ南区より労働党候補として立候補したが、保守党所属のマイケル・アンクラム(英語版)に敗れ落選する。

1983年の総選挙ではダンファームリン東区で労働党候補として立候補し当選。1985年には影の内閣貿易・産業省のスポークスマン、その後影の内閣財務大臣、貿易・産業大臣を務めた。

1994年5月の労働党党首ジョン・スミスの急死に際しては後継候補として有力視されたが、彼はこれを辞退してトニー・ブレアに党首の座を譲った。この際の経緯に関して、2人の間には密約が交わされているとの噂があり、ロンドンのイズリントン地区のレストランで会食した際に、ブレアを党首とする代償としてブラウンが経済政策を取り仕切ること、そしてブラウンをブレアの後継者とすることが約束されたと言われる(ブレア=ブラウン密約)。それぞれ労働党の左派と穏健派を代表する2人の間には政治的対立があるとの報道がなされることが多い。

財務大臣への就任

1997年5月の総選挙で労働党は大勝利を収めブレア政権が誕生した。ブラウンは影の内閣より引き続いて財務大臣に任命された。ブラウンは就任直後に金融政策の大転換を行い国民を驚かせた。公定歩合の決定権を含めた金融政策の責任をイングランド銀行へと大幅に譲渡するこの政策は、ブラウンのアシスタントであり、現、庶民院議員エド・ボールズ(英語版)によりまとめられたものである。2002年には健康保険の保険料を増加させた。OECDによると1997年に39.3%だったイギリスの税率は2006年には42.4%にまで増加している[2]

保守党政権期からイギリス経済は安定成長を持続しており、1997年から2006年にかけての経済成長率は2.7%であった。2005年5月24日EU加盟諸国はODAGDPの0.56%に増額する合意に達した[3]。ブラウンはこの決定を歓迎した。またブレア首相は拠出金割引の譲歩を実行して、そのEU首脳会議の争点であったイギリスの拠出金割引制度は維持されることになる。これはヨーロッパ全体の2.1%より高いが、世界の英語圏諸国中では最低である。失業率は1997年の7%から5.1%にまで改善した(この間、ヨーロッパ全体の失業率は8.1%)。

ブレアとともに「ニューレイバー」の旗頭であったが、ブレアよりは左派寄りで「ソフト・レフト」を自称した。しかし財務大臣としては規制緩和など市場主義路線を大胆に推し進め、高成長を維持した。こうした政策は、後の首相就任時の金融バブル崩壊後、その一因として厳しく批判されることになるが、当時は高い評価を得た。また国防政策などにおいても、徐々にアメリカ合衆国支持、穏健派よりの言動を見せるようになったが、これは首相就任への布石であったとの見方が強い。

ポスト・ブレア

2004年10月にブレア首相は4回目の総選挙に際しては党首を後継に譲ることを発表した。2005年の総選挙(ブレア就任後3回目)で労働党は過半数は維持したものの議席を大きく減らし、2006年夏にはブレア首相は1年以内に退陣することを明言した。

2007年に入るとブレアの次の労働党党首が誰になるかは、仮定の問題ではなく現実の問題として扱われた。何人かの党内有力者(現役の閣僚)が対抗馬として党首選に立候補することを示唆するなど一時は波乱含みの展開を予想させたが、結局は彼らも立候補を断念し、「後継者はゴードン・ブラウンで確定」というムードは変わることなく、2007年5月には唯一の対抗馬として立候補の意向を明示していた党内左派のジョン・マクドネルが、党首選に出るために必要な規定の人数の支持を得られず立候補を断念、ブラウンは無投票で労働党の次期党首となった(就任は6月24日の臨時党大会にて)[4]。この数日前の5月10日には、ブレアが首相辞任の日付を「6月27日」と発表しており、ブラウンが労働党党首に確定したことで、同日にブラウンが首相として就任することが固まった。

早くから「次期労働党党首の最有力候補」と見なされ続けてきたブラウンにとって、満を持しての首相就任であったが、ブレア時代に一貫して低調だった保守党が、デービッド・キャメロンの党首就任を機に支持を盛り返しており、2006年ごろの世論調査でブラウンが首相となった場合の支持率においても保守党を下回った。ブレア政権の負の遺産を抱えてのスタートとなるため、新政権の先行きは不透明なものとなるとの観測が支配的だった。

イギリス首相に

2007年6月27日、ブラウンは正式に首相就任し翌28日に新政権が発足した。英国首相の交代は10年ぶりで西欧の主要国では2005年以来政権交代が続いており、英新首相の登場ですべて新指導者の時代に入ることになった。

長年政権中枢にあったブラウンは首相職も着実にこなし、安定感ある仕事振りが評価されて、就任後しばらくは労働党の支持率が保守党を上回った。このため9月の労働党大会で党内から年内の解散を求める声が上がり、10月初頭に政局は緊迫した様相を見せたが、保守党の提示した減税案が好感されて支持率で猛追されたこともあり、解散は断念に追い込まれた。この判断は保守党はもとより労働党内からも強い批判を浴び、以後「優柔不断」との評が絶えなくなった。11月に入ると、ノーザン・ロック銀行の経営危機への対応や歳入関税庁による個人情報2500万人分の紛失事件、党の違法献金問題などを受けて支持率が逆転した。

明けて2008年1月には献金疑惑で実力者のピーター・ヘイン(英語版)雇用年金・ウェールズ相が辞任に追い込まれた。3月から4月にかけては経済情勢の悪化や北京オリンピック聖火リレーを巡る対応からも批判を浴び、党の支持率は過去25年で最低、保守党との差も過去25年で最大の水準に開いた(労働党27%、保守党43%)が、これはチェンバレン首相を超える英史上最も急速かつ大幅な支持率下落であるという[5][6]。5月の統一地方選では、労働党はロンドン市長の座を失ったのをはじめ、得票率で自民党を下回り第三党に転落するという結党以来最大の惨敗を喫した上、6月のテロ対策法改正案では与党の大量造反のため一部野党の協力を仰がざるを得ず、同年の労働党大会では党内の退陣圧力をかわすのに精一杯という有様だった。もっとも秋のリーマン・ショックを受けた金融不安では公的資金注入などで迅速な対処を見せたことから、一部で「欧州の救世主」などと賞賛され、支持率も一時的に上昇。余勢を駆っての解散が取りざたされるなどした。

2009年アメリカ合衆国大統領バラク・オバマとの会談にて

しかし2009年に入ると英経済が17年振りの景気後退に入り、ポンド安・金融危機が一層深刻化し、経済運営への信頼も揺らいだ。春には、労働党議員の不明朗な経費請求問題への対応が後手に回り強い批判を浴びるとともに、元グルカ兵の永住権問題で野党動議の可決を許すなど窮地は深まるばかりで、労働党の支持率は史上最低の22%に低下した(保守党は45%)[7]。6月に入ると主要閣僚がスキャンダルで相次いで辞任し、党内で党首交代を求める電子メールが出回るなど「ブラウン降ろし」の動きが公然化した[8]。結局、統一地方選で労働党は250議席以上減らし大敗。ダービーシャーなど北部4州の議席を全て保守党に奪われる事態となった。ブラウンは「労働党にとって悲痛な敗北だ」とコメントしたが、内閣改造を行い続投を表明した[9]。しかし、閣僚からも公然と退陣要求が出た[10]

2009年9月、イギリス政府が半世紀以上に渡って個人を対象としたネガティブ・キャンペーンを継続してきたことに関して、アラン・チューリングへ謝罪した[11]

2010年に入ると巻き返し、保守党との支持率差を縮めたが、依然として大きくリードを許したまま5月6日に総選挙を実施。ブラウンは経済政策の成果を強調し選挙に臨んだが、議席を100近く減らして過半数を大きく割り込み大敗した。選挙後に自民党と連立を模索したが、政権維持は困難な状況となった。

詳細は「2010年イギリス総選挙」を参照

労働党内からも辞任を求める声が強まり、5月10日、ブラウンは秋の党大会で次の党首が選ばれるまで党首としてとどまり、その後辞任すると述べた[12]が風当たりは収まらず、翌5月11日に辞任を表明した[13]。その後については要職につくことはないバックベンチャー(英語版)として議会後方席に残る意思を示した。

首相退任後

上述のように、首相退任後は目立った政治活動は行っていなかったが、2014年9月のスコットランド独立住民投票の際には、投票日が近くなってから独立反対派の集会で何度も演説を行い、「大枠で現状維持しつつ、スコットランド議会の権限拡大は進める」という方向性を明確に打ち出し、賛否を決めかねていた有権者を説得、事前の予想以上に独立賛成派に傾いていた流れを戻し、反対派の勝利に貢献した[14][15]

その後、辞任したスコットランド労働党トップの後継選挙に出馬するのではとの観測もあったが、ブラウンはこれを否定。その時点で政界引退の意向ではないかと噂されていたが、12月1日にファイフの選挙区で行われた労働党の集会で[16]、2015年5月に予定される総選挙に出馬しないことを表明し、政界引退の意向を示した[17]。慣例として、首相経験者は一代貴族に叙せられ、庶民院からの引退後は貴族院に議席を得ることになっているが、ブラウンはこれも辞退した[18]

首相を退いたあと、ブラウンは慈善活動に打ち込んでおり、2012年7月には国連の教育担当特使に任命されている[19]

スキャンダル

2010年4月28日、路上で移民問題について労働党を支持する年金生活者の女性と対談し、その後会話を終えて立ち去る際、ブラウンが胸に付けていたピンマイクのスイッチが入ったままである事に気付かず、直後に隠れて吐いた「話さなければ良かった」「偏屈だらけの女」などの暴言がマイクに拾われる事態となった[20]。この一件はマスコミに大きくスクープされ、直後の党首討論にも大きな影響を与えることとなった[21]。ブラウンはラジオ電話などを通じて謝罪した後、女性の自宅を訪問し直接謝罪をしている。 2010年2月21日、BBC WORLD NEWSによると、ブラウンの部下から英国、National Bullying Helplineに首相が部下に暴行を加えているといると相談があり、問題が明らかになった[22]

私生活

妻のサラ・ブラウン

独身生活が長く、財務相になってからも独身であった。イギリスの財務相公邸が首相公邸より広かったため、当時5人家族だったブレア一家と公邸を交換して住んだ逸話もある。

かつては、ルーマニアの元国王ミハイ1世の娘マルガレータ王女とも交際していたが、2000年8月に左派系PRコンサルタント会社を経営するサラ・マコーリーと結婚した。ゴードンは49歳、サラは37歳、互いに初婚である。翌2001年12月には第1子となる長女が誕生したが、未熟児であったためわずか10日後に死亡する。第2子の長男ジョンは2003年10月に誕生した。2006年7月には次男のジェームスが誕生しているが、ジェームスは嚢胞性線維症であると診断されている。

スコットランドのプロサッカークラブ、ライス・ローヴァーFCのサポーターであり、2005年に同クラブを買収したコンソーシアムのメンバーでもある。実の兄弟であるジョンはグラスゴー市議会に勤務、アンドリューはEDFエナジー社のPR担当コンサルタントとして勤務している。

著作

  • Brown, Gordon (1989). Where There's Greed: Margaret Thatcher and the Betrayal of Britain's Future. Mainstream Publishing. ISBN 1851582282.
  • Brown, Gordon (ed.); Cook, Robin (ed.) (1987). Scotland: The Real Divide - Poverty and Deprivation in Scotland. Mainstream Publishing. ISBN 0906391180.
  • Brown, Gordon (1986). Maxton: A Biography. Mainstream Publishing. ISBN 1851580425.

脚注

  1. ^ news.bbc.co.uk Brown's first taste of power, 15 July 2005
  2. ^ www.oecd.org xlsファイル
  3. ^ http://www.uknow.or.jp/be/ukview/speeches/speeches/SP000535_3_j.htm
  4. ^ news.bbc.co.uk Brown will enter No 10 unopposed, 16 May 2007
  5. ^ Brown's U.K. Support Falls Fastest on Record; Opposition Gains Bloomberg.com
  6. ^ Support for Labour hits 25-year low TIMES ONLINE
  7. ^ ブラウン政権危うし 産経新聞
  8. ^ 選挙にらみ「ブラウン降ろし」公然化 産経新聞2009年6月4日
  9. ^ ブラウン英首相:解散を否定 「痛ましい敗北」地方選惨敗認める『毎日jp』2009年6月6日
  10. ^ 英・閣僚が退陣要求、首相は内閣改造 攻防激化 産経新聞6月6日
  11. ^ “PM apology after Turing petition”. BBC News. (2009年9月11日). http://news.bbc.co.uk/2/hi/technology/8249792.stm 
  12. ^ ブラウン氏、労働党党首辞任へ『産経ニュース』2010年5月11日
  13. ^ “英ブラウン首相、辞意を正式表明”. YOMIURI ONLINE (読売新聞). (2010年5月12日). http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100512-OYT1T00145.htm 2010年5月12日閲覧。 
  14. ^ “スコットランド住民投票が投げかけた波紋”. 東洋経済オンライン. (2014年10月4日). http://toyokeizai.net/articles/-/49434 
  15. ^ “スコットランド投票の残したもの”. ニューズウィーク日本版. (2014年10月6日). http://www.newsweekjapan.jp/joyce/2014/10/post-84.php 
  16. ^ “Gordon Brown announces he will stand down as MP”. BBC News. (2014年12月2日). http://www.bbc.com/news/uk-politics-30277709 2014年12月2日閲覧。 
  17. ^ “Gordon Brown stands down as MP”. The Guardian. (2014年12月1日). http://www.theguardian.com/politics/2014/dec/01/gordon-brown-stand-down-mp 2014年12月2日閲覧。 
  18. ^ “Tributes abound as Brown confirms he'll stand down as MP”. The Herald Scotland. (2014年12月1日). http://www.heraldscotland.com/politics/wider-political-news/brown-set-to-step-down-tonight.1417434636 2014年12月2日閲覧。 
  19. ^ The Office of the UN Special Envoy for Global Education
  20. ^ ブラウン英首相、女性を「頑固者」よばわりで謝罪 選挙に痛手 AFPBBNews 2010年4月29日
  21. ^ 「偏屈な女」発言のブラウン英首相、挽回ならず テレビ討論は保守党に軍配『産経ニュース』2010年4月30日
  22. ^ http://news.bbc.co.uk/2/hi/8527170.stm

関連項目

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、ゴードン・ブラウンに関連するメディアがあります。
  • Gordon Brown Official government profile (英語)
  • Official website of the Office of Gordon and Sarah Brown (英語)
公職
先代
トニー・ブレア
イギリスの旗 イギリス首相
第74代:2007年 - 2010年
次代
デーヴィッド・キャメロン
イギリスの旗 イギリス行政機構担当大臣
2007年 - 2010年
イギリスの旗 イギリス第一大蔵卿
2007年 - 2010年
先代
ジョン・スミス
イギリスの旗 イギリス影の財務大臣
1992年 – 1997年
次代
ケネス・クラーク(英語版)
先代
ケネス・クラーク(英語版)
イギリスの旗イギリス財務大臣
1997年 – 2007年
次代
アリスター・ダーリング
イギリスの旗 イギリス第二大蔵卿
1997年 - 2007年
党職
先代
トニー・ブレア
労働党党首
2007年 - 2010年
次代
ハリエット・ハーマン
(代行)
議会
先代
創設
ダンファームリン東選挙区
1983年 – 2005年
次代
選挙区廃止
カークカルディ・カウデンビース選挙区
2005年 – 2015年
次代
ロジャー・マリン(英語版)
学職
先代
ジョナソン・W・G・ウィルズ (en)
エディンバラ大学運営評議会議長
1973年 – 1976年
次代
マグナス・マグナッソン (en)
ジョージ1世任命
ジョージ2世任命
  • ウィルミントン伯爵1742-1743
  • ペラム1743-1754
  • ニューカッスル公爵1754-1756
  • デヴォンシャー公爵1756-1757
  • ニューカッスル公爵1757-1762
ジョージ3世任命
  • ビュート伯爵1762-1763
  • G・グレンヴィル1763-1765
  • ロッキンガム侯爵1765-1766
  • チャタム伯爵(大ピット)1766-1768
  • グラフトン公爵1768-1770
  • ノース卿1770-1782
  • ロッキンガム侯爵1782
  • シェルバーン伯爵1782-1783
  • ポートランド公爵1783
  • 小ピット1783-1801
  • アディントン1801-1804
  • 小ピット1804-1806
  • グレンヴィル男爵1806-1807
  • ポートランド公爵1807-1809
  • パーシヴァル1809-1812
  • リヴァプール伯爵1812-1827
ジョージ4世任命
  • カニング1827
  • ゴドリッチ子爵1827-1828
  • ウェリントン公爵1828-1830
ウィリアム4世任命
  • グレイ伯爵1830-1834
  • メルバーン子爵1834
  • ウェリントン公爵1834
  • ピール1834-1835
  • メルバーン子爵1835-1841
ヴィクトリア任命
エドワード7世任命
ジョージ5世任命
ジョージ6世任命
エリザベス2世任命
チャールズ3世任命
イギリスの旗 イギリスの財務大臣
イングランド
  • ユースタス・オブ・ファーコンバーグ(英語版)1221頃-?
  • マンセル(英語版)1234頃-?
  • レスター1248以前
  • ウェストミンスター1248-?
  • フィスキャンプ1263以前
  • チスハル(英語版)1263-1265
  • W.ジフォード(英語版)1265-1266
  • G.ジフォード(英語版)1266-1268
  • チスハル(英語版)1268-1269
  • ミドルトン(英語版)1269-1272
  • ド・レ・レイエ1283以前
  • ニューバンド1283以前
  • ウィロウビー(英語版)1283-1305
  • ベンスティディ(英語版)1305-1306
  • サンデール(英語版)1307-1308
  • マーケンフィールド1309-1312
  • ホーサム(英語版)1312-1316
  • スタントン(英語版)1316-1323頃
  • ステープルドン(英語版)1323-1324頃
  • スタントン(英語版)1324-1327
  • ハーヴィントン(英語版)1327-1330
  • ウッドハウス(英語版)1330-1331
  • ストラトフォード(英語版)1331-1334
  • ヒルデスリー1338頃-?
  • エヴァードン1341-?
  • アスケビー1363-?
  • アシュトン(英語版)1375-1377
  • バーナム1377-1399
  • ソマー(英語版)1410-1437
  • サマセット(英語版)1441-1447
  • ブラウン(英語版)1440頃-1450頃
  • ウィザム(英語版)1454-?
  • ファウラー(英語版)1469-1471
  • スウェイツ(英語版)1471-1483
  • ケイツビー(英語版)1483-1484頃
  • ラベル(英語版)1485-1524
  • バーナーズ男爵(英語版)1524-1533頃
  • エセックス伯爵1533-1540
  • ベイカー(英語版)1545-1558
  • サックヴィル(英語版)1559-1566
  • マイルドメイ(英語版)1566-1589
  • フォーテスキュー(英語版)1589-1603
  • ダンバー伯爵(英語版)1603-1606
  • シーザー(英語版)1606-1614
  • グランヴィル(英語版)1614-1621
  • ウェストン(英語版)1621-1628
  • バレット卿(英語版)1628-1629
  • コティントン男爵(英語版)1629-1642
  • カルペパー(英語版)1642-1643
  • ハイド1643-1646
  • 空位期(英語版)1646-1660
  • ハイド1660-1661
  • アシュリー男爵1661-1672
  • ダンクーム1672-1676
  • アーンリ(英語版)1676-1689
  • デラマー男爵(英語版)1689-1690
  • ハムデン(英語版)1690-1694
  • モンタギュー1694-1699
  • スミス1699-1701
  • ボイル1701-1708
グレートブリテン
  • ボイル1708-1710
  • スミス1708-1710
  • ハーレー1710-1711
  • ベンソン1711-1713
  • ウィンダム1713-1714
  • オンズロー1714-1715
  • ウォルポール1715-1717
  • スタンホープ伯爵1717-1718
  • エイズラビー1718-1721
  • プラット(代理)1721
  • ウォルポール1721-1742
  • サンズ1742-1743
  • ペラム1743-1754
  • リー(代理)1754
  • ビルソン=レッグ1754-1755
  • リトルトン1755-1756
  • ビルソン=レッグ1756-1757
  • マンスフィールド男爵(英語版)1757
  • ビルソン=レッグ1757-1761
  • バリントン子爵1761-1762
  • ル・ディスペンサー男爵1762-1763
  • グレンヴィル1763-1765
  • ダズウェル(英語版)1765-1766
  • タウンゼンド1766-1767
  • ノース卿1767-1782
  • キャヴェンディッシュ(英語版)1782
  • 小ピット1782-1783
  • キャヴェンディッシュ(英語版)1783
  • 小ピット1783-1801
  • アディントン1801-1804
  • 小ピット1804-1806
  • エレンバラ男爵(英語版)(代理)1806
  • ペティ=フィッツモーリス1806-1807
  • パーシヴァル1807-1812
  • ヴァンシッタート(英語版)1812-1817
連合王国
労働党
歴代党首

ケア・ハーディ · アーサー・ヘンダーソン · ジョージ・ニコル・バーンズ · ラムゼイ・マクドナルド · アーサー・ヘンダーソン · ウィリアム・アダムソン · ジョン・ロバート・クラインス · ラムゼイ・マクドナルド  · アーサー・ヘンダーソン · ジョージ・ランズベリー · クレメント・アトリー  · ヒュー・ゲイツケル · ジョージ・ブラウン† · ハロルド・ウィルソン  · ジェームズ・キャラハン  · マイケル・フット · ニール・キノック · ジョン・スミス · マーガレット・ベケット† · トニー・ブレア  · ゴードン・ブラウン  · エド・ミリバンド · ジェレミー・コービン · キア・スターマー

(†は、前党首の急死による臨時党首。太字 は、首相経験者。)
党首選挙

1922年 · 1935年 · 1955年 · 1960年 · 1961年 · 1963年 · 1976年 · 1980年 · 1983年 · 1988年 · 1992年 · 1994年 · 2007年  · 2010年  · 2015年  · 2016年  · 2020年

歴代副党首

クラインス  · グラハム  · アトリー  · グリーンウッド  · モリソン  · グリフィス  · ベヴァン · ブラウン  · ジェンキンス  · ショート  · フット  · ヒーリー  · ハタズリー  · ベケット  · プレスコット  · ハーマン · ワトソン(英語版) · レイナー(英語版)

副党首選挙

1972年  · 1976年  · 1980年  · 1981年  · 1983年  · 1988年  · 1992年 · 1994年  · 2007年

歴代書記長

マクドナルド  · ヘンダーソン  · ミドルトン  · フィリップス  · ウィリアムズ  · ニコラス  · ヘイワード · モーティマー  · ウィッティ  · ソーヤー  · マクドナー  · トリーズマン  · カーター  · ワット  · コリンズ  · マクニコル

母体

社会民主同盟(SDL) · フェビアン協会 · 独立労働党/労働代表委員会

派閥
関連項目

ニューレイバー · 第三の道 · スコットランド労働党 · ブレア=ブラウン密約

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