エドアルド・レヤ

エドアルド・レヤ
ラツィオ監督時代(2014年)
名前
愛称 Edy
ラテン文字 Edoardo Reja
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1945-10-10) 1945年10月10日(78歳)
出身地 ゴリツィア
身長 175cm
選手情報
ポジション MF
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1963-1968 イタリアの旗 SPAL 70 (2)
1968-1973 イタリアの旗 パレルモ 124 (1)
1973-1975 イタリアの旗 アレッサンドリア 76 (1)
1963-1975 通算 270 (4)
監督歴
1979-1980 イタリアの旗 モリネッラ(英語版)
1980-1981 イタリアの旗 モンセーリチェ(英語版)
1981-1982 イタリアの旗 ポルデノーネ
1982-1983 イタリアの旗 モンセーリチェ
1983-1984 イタリアの旗 プロ・ゴリツィア(英語版)
1984-1985 イタリアの旗 トレヴィーゾ
1985-1986 イタリアの旗 メストレ(英語版)
1986-1987 イタリアの旗 ヴァレーゼ
1987-1989 イタリアの旗 ペスカーラ (Primavera)
1989-1990 イタリアの旗 ペスカーラ
1990-1992 イタリアの旗 コゼンツァ
1992-1993 イタリアの旗 ヴェローナ
1993-1994 イタリアの旗 ボローニャ
1994-1995 イタリアの旗 レッチェ
1996-1997 イタリアの旗 ブレシア
1997-1998 イタリアの旗 トリノ
1998-2001 イタリアの旗 ヴィチェンツァ
2001-2002 イタリアの旗 ジェノア
2003 イタリアの旗 カターニア
2003-2004 イタリアの旗 カリアリ
2005-2009 イタリアの旗 ナポリ
2009-2010 クロアチアの旗 ハイドゥク・スプリト
2010-2012 イタリアの旗 ラツィオ
2014 イタリアの旗 ラツィオ
2015-2016 イタリアの旗 アタランタ
2019-2022 アルバニアの旗 アルバニア
1. 国内リーグ戦に限る。2023年4月28日現在。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj

エドアルド・レヤEdoardo Reja, 1945年10月10日 - )は、イタリアゴリツィア出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。アルバニア代表監督。現役時代のポジションはMF。名前の表記にはレハ、レーヤなどもある。スロベニア人の両親に生まれ、スロベニア語イタリア語フリウリ語を話す。

クラブでの指導歴は30年近くにわたるものの、セリエAでの監督経験はヴィチェンツァ・カルチョSSCナポリSSラツィオアタランタBCの時のみである。途中解任を含めなければ、1979年に監督としてのキャリアをはじめてから、1年も休まずに活動している。また、ナポリ監督としての年数は1980年代末ナポリ全盛期の監督オッタヴィオ・ビアンキに並び最長となっている。

経歴

選手としてはSPAL1907パレルモUSアレッサンドリア・カルチョの3チームに所属。このうちパレルモでセリエA通算124試合に出場した。

1979年、セリエDに所属するモリネッラ・カルチョ1911の監督に就任。指導者として歩み始める。翌年にはセリエC2のモンセーリチェ・カルチョ1926の監督に就任。その後、1989年には自身初のセリエB経験となるペスカーラ・カルチョの監督に就任する。

ヴィチェンツァ・カルチョカリアリ・カルチョをセリエA昇格に導き、昇格のエキスパートとしての評価を高めた。ヴィチェンツァでは初のトップリーグ挑戦となったが、クラブは降格となる。カリアリでは、3トップとジャンフランコ・ゾラを中心として圧倒的強さを誇るチームを構築し、セリエB優勝を果たす。

2005年1月にジャンピエロ・ヴェントゥーラの後任としてSSCナポリの監督に就任。2005-06シーズンにはセリエC1に低迷していたナポリをセリエBへ、2006-07シーズンにはセリエBでユヴェントスFCに次ぐ2位に導き、クラブを6シーズンぶりにセリエAへ昇格させた。

2007-08シーズンには、マレク・ハムシークワルテル・ガルガーノエセキエル・ラベッシマルセロ・サラジェタなど新戦力を上手くチームに融合させ、昇格1年目にしてリーグ8位へと躍進させた。ホームゲームでの勝負強さが際立っており、インテル・ミラノACミラン、ユヴェントスなどの強豪相手に勝利した。

2008-09シーズン、ナポリを率いてUEFAインタートトカップを勝ち抜き、UEFAカップ出場を果たすが、SLベンフィカと戦い1回戦敗退。セリエAでは開幕当初よりラベッシ、ハムシクを中心にチームは好調で、ユヴェントスを撃破するなどの成果を挙げた。しかし2009年に入るとチームは失速し、不調の責任を問われ3月に解任された。後任には前イタリア代表監督ロベルト・ドナドーニが就任。

2009年8月、クロアチアの強豪ハイデュク・スプリトの監督に就任した。同クラブは開幕から2節経過後にアンテ・ミシェ(英語版)を解任し、後任にイヴィツァ・カリニッチ(英語版)を招聘したものの初采配直後に心臓病に倒れて指揮が執れなくなっていた。自身初の海外での指揮となる。シーズン途中の2010年2月、不振に陥っていたイタリアSSラツィオより監督就任要請を受け、ハイデュクとの契約を解除しラツィオ監督に就任[1]

2014年1月、再びラツィオの監督に就任する。

2015年3月、アタランタBCの監督に就任[2]。クラブは前年を上回るリーグ13位でシーズンを終えたが、2016年6月14日にベルガモを去ることが発表された[3]

2019年4月17日、アルバニア代表の監督に就任したことが発表された[4]

エピソード

  • イタリアを代表する名将ファビオ・カペッロは親友である。フェッラーラにあるSPAL1907所属時、カペッロとチームメートとなり、ハウスシェアの経験もある。カペッロの妻ラウラの友人リヴィアはレヤと結婚した。
  • CALCiO2002のインタビューにおいて、守備的な戦術家と決め付けられることを嫌がっている。本人は、4-3-3を基本とする攻撃重視であると語っている[要出典]

タイトル

選手時代

SPAL
アレッサンドリア

指導者時代

ブレシア
  • セリエB : 1996-97
ヴィチェンツァ
  • セリエB : 1999-00
ナポリ
  • セリエC1 : 2005-06

脚注

  1. ^ 降格の危機からスクデット獲りへ!ラツィオを変えた老将レーヤの兵法。 -NumberWeb: 2010年11月12日
  2. ^ アタランタ、コラントゥオーノ監督を解任 -Qoly Football Web Magazine: 2015年3月5日
  3. ^ “ジェノアを去ったガスペリーニ、アタランタの新監督に”. Goal.com (2016年6月14日). 2018年1月4日閲覧。
  4. ^ “パヌッチ解任のアルバニア代表、イタリア屈指の老将レヤ氏を招へい”. 超ワールドサッカー (2019年4月18日). 2019年4月18日閲覧。

外部リンク

ウィキメディア・コモンズには、エドアルド・レヤに関連するカテゴリがあります。
  • Web CALCiO2002インタビュー エドアルド・レーヤ ナポリの"ノーマル・マン"
  • Edoardo Reja - player profile Transfermarkt
  • Edoardo Reja - manager profile Transfermarkt
エラス・ヴェローナFC歴代監督
ACエラス
  • ヴィーヴィ 1910-11
  • マスプローネ (it1911-14
FCエラス・
ヴェローナ
  • バスケーニ (it1920-21
  • フリートマン 1922-24
  • モルナール (en1924-25
  • ショッフェル (it1925-26
  • ファジュオーリ (it1927
  • ベケイ (it1928
ACヴェローナ
  • バスケーニ 1928-29
  • クッティク (en1929-32
  • パッロッタ 1932
  • シュタンツェル (it1932-33
  • ベケイ 1933-34
  • E・キエッキ (it1934-35
  • カープラ (en1935-36
  • ヴァニチェク (it1936-38
  • G・キエッキ (it1939
  • ペイチ (en1939
  • G・キエッキ 1940-41
  • シュテュルマー (en1941-42
  • ボージオ 1942-44
  • ヴァニチェク 1946-47
  • ビアジーニ (it1947-49
  • セーケイ (it1949-50
  • ピッチョーリ (it1950-52
  • レロヴィチ (it1953
  • ロッゼット (it1953-54
  • フェッレーロ (en1954
  • ピッチョーリ 1955
  • アッラージオ (it1955
  • ピッチョーリ 1955-58
  • ボニッツォーニ (it1958
  • タヴェッリン (it1958
  • ヴィアーニ (en1958-59
  • タヴェッリン 1959
ACエラス・
ヴェローナ
  • タヴェッリン 1959
  • オリヴィエーリ (it1959-60
  • ビッツォット (it1960-61
  • ビアジーニ 1961-62
  • タヴェッリン 1962
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  • ビアジーニ 1964
  • カデー (it1964-65
  • トニョン (it1965-66
  • ポッツァン (it1966-67
  • リードホルム 1967-68
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  • マスカライート 1978
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  • カデー 1980-81
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