イズマイロフスキー連隊

イズマイロフスキー近衛連隊
Изма́йловский лейб-гва́рдии полк
活動期間1730年9月22日 - 1917年
国籍ロシア帝国の旗 ロシア帝国
軍種陸軍
兵科歩兵
兵力連隊
基地サンクトペテルブルク
識別
連隊旗
連隊員のバッジ

イズマイロフスキー近衛連隊 (ロシア語: Изма́йловский лейб-гва́рдии полк) とは、ロシア帝国陸軍第1守備隊歩兵師団(英語版)及びロシア帝国親衛隊の下位部隊であり、ロシア帝国陸軍では最古となる連隊である。

概要

この連隊は1730年9月22日にモスクワで結成され、初代の連隊長にはカール・グスタフ・フォン・ローウェンウォルド(英語版)が任命された。ローウェンウォルドの後は歴代の皇帝皇族が連隊長を引き継いだ。

連隊の歴史

イズマイロフスキー連隊
イズマイロフスキー連隊

歴代の連隊長

※日付はロシア暦

  • 1730年9月22日 - 1735年4月30日 - カール・グスタフ・フォン・ローウェンウォルド(英語版)
  • 1735年4月30日 - 1740年10月17日 - 女帝アンナ・イヴァノヴナ
  • 1740年10月17日 - 1741年11月25日 - 皇帝イヴァン6世
  • 1741年11月25日 - 1761年12月25日 - 女帝エリザヴェータ・ペトロヴナ
  • 1761年12月25日 - 1762年6月28日 - 皇帝ピョートル3世
  • 1762年6月28日 - 1796年11月6日 - 女帝エカチェリーナ・アレクセーエヴナ(エカチェリーナ2世)
  • 1796年11月7日 - 1796年11月10日 - 皇帝パーヴェル1世
  • 1796年11月10日 - 1800年5月28日 - コンスタンチン・パヴロヴィチ大公
  • 1800年5月28日 - 1855年2月18日 - 皇帝ニコライ1世
  • 1855年2月19日 - 1881年3月1日 - 皇帝アレクサンドル2世
  • 1881年3月2日 - 1894年10月21日 - 皇帝アレクサンドル3世
  • 1894年11月2日 - 1917年3月3日 - 皇帝ニコライ2世

登場する作品と設定

ロシア帝国の黄金時代を築いたエカテリーナ・アレクセーエヴナ(後のエカテリーナ2世)の半生を描いた大河ドラマ
1757年女帝エリザヴェータ・ペトロヴナの勅命により、エカテリーナは夫の皇太子ピョートル・フョードロヴィチと共にイズマイロフスキー連隊の連隊長の地位を与えられる。ドイツ生まれでプロイセン贔屓のピョートルはあまり乗り気ではないが、プロイセン贔屓のピョートルを差し置いて軍部との関係を持ちたいと考えていたエカテリーナには大きな転機となった。
かくして、連隊長となったエカテリーナは連隊の将校であるグリゴリー・グリゴリエヴィチ・オルロフ少尉に興味を抱くが、オルロフは秘密警察長官アレクサンドル・イヴァノヴィチ・シュヴァーロフ(英語版、ロシア語版)伯爵の愛人を寝取ったとして、シュヴァーロフの手下によって逮捕される事件が起こる。対プロイセン戦争への参戦を目前に控えたイズマイロフスキー連隊は司令官の右腕とも頼む将校を失い、動揺をきたしたため、エカテリーナはシュヴァーロフと対立する宰相アレクセイ・ペトロヴィチ・ベストゥージェフ伯爵の協力を得てオルロフ少尉を釈放させ、オルロフ家の信頼を得る。
時は流れ、皇帝となったピョートルの失政を契機にクーデター(ロシア語版)を決意したエカテリーナはイズマイロフスキー連隊の将校たちにクーデターへの賛同を呼びかけるのだった・・・。

外部リンク

  • (ロシア語) Timeline of the regiment
典拠管理データベース ウィキデータを編集
全般
  • VIAF
その他
  • IdRef