イギリス領ホンジュラス

イギリス領ホンジュラス
British Honduras (英語)
グアテマラ総督領
メキシコ第一帝政
1783年 - 1981年 ベリーズ
ベリーズの国旗 ベリーズの国章
国旗国章
国歌:
  • God Save the Queen(英語)
    女王陛下万歳(1837年 - 1901年、1952年 - 1981年)
  • God Save the King(英語)
    国王陛下万歳(1783年 - 1837年、1901年 - 1952年)
ベリーズの位置
イギリス領ホンジュラスの位置
言語 英語スペイン語ガリフナ語マヤ語
首都
君主
1783年 - 1820年 ジョージ3世
1820年 - 1830年ジョージ4世
1830年 - 1837年ウィリアム4世
1837年 - 1901年ヴィクトリア
1901年 - 1910年エドワード7世
1910年 - 1936年ジョージ5世
1936年 - 1936年エドワード8世
1936年 - 1952年ジョージ6世
1952年 - 1981年エリザベス2世
面積
1861年[1]25,635km²
変遷
ヴェルサイユ条約 1783年
直轄植民地に1862年
自治権獲得1964年1月1日
改名1973年6月1日
独立1982年9月21日
通貨イギリス領ホンジュラス・ドル
現在ベリーズの旗 ベリーズ

イギリス領ホンジュラス(イギリスりょうホンジュラス、英語: British Hondurasは、1783年から1964年の間中央アメリカの東岸、メキシコの南に存在したイギリスの直轄植民地である。1964年に自治権を獲得し、1973年にベリーズへと改名した[2]。1981年にはイギリスから完全な独立を獲得した。また、イギリス領ホンジュラスはアメリカ大陸における最後のイギリス植民地であった。植民地は、スペインがイギリスにホンドとベリーズ川の間で丸太を切る権利を与えたヴェルサイユ条約から発展した。ロンドン条約によって、ベリーズ川とシブン川の間の領域を含むようにこの領域が拡大された[3]。1862年、ホンジュラス湾のベリーズ開拓地はイギリス領ホンジュラスとされ、王室代表はジャマイカ総督に従属する副総督に昇格した[4]

歴史

脱植民地化とグアテマラとの国境紛争

イギリス領ホンジュラスの地図(1965年)

イギリス領ホンジュラスは、独立するのに2つの障害に直面した。1960年代初頭まで市民の自治に消極的だったイギリスと、長年にわたり全領土の領有権を強硬に主張してきたグアテマラである。1961年にイギリスは独立を認め、1964年からは国防、外交、国内安全保障、公務員の条件のみを統制するようになった。1973年6月1日、独立の期待から植民地の名前がベリーズに変更された。ベリーズの将来に関するイギリス・グアテマラ間の長期的な交渉が行き詰まったため、ベリーズ人は1975年以降独立に関する問題を解決するための国際社会の援助を求めるようになった。しかし、ベリーズが完全に独立した1981年以後も領土問題は解決されないままであった。

この領土問題は、18世紀の条約で、イギリスがスペインの主権主張を認め、イギリス人入植者がまばらで境界がはっきりしない地域を占拠し続けたことに端を発している。スペインの主権を確認した1786年のロンドン条約は再交渉されなかったが、スペインは1798年以降、この地域を取り戻そうとすることはなかった。グアテマラの最古の主張の中心は、1859年にイギリス・グアテマラ間で結ばれた条約であった。イギリスは、この条約はすでにイギリスの支配下にあった地域の境界を確定したに過ぎないと考え、また、グアテマラはこの条約はグアテマラからカリブ海沿岸への道路建設を含む一定の条件下でのみグアテマラが領有権を放棄することを述べたものである、と考えた。結局イギリスが道路を建設しなかったため、グアテマラは1884年に条約を破棄すると言ったが、その脅しを実行することはなかった。

この争いは、1930年代にホルヘ・ウビコ将軍の政府が、道路が建設されていないので条約は無効だと主張するまで忘れられていたようである。イギリスは、短命だった中央アメリカ連邦共和国(1821年-1839年)もグアテマラもこの地域で権威を行使したことはなく、19世紀にはイギリスの駐在に抗議したことさえなかったので、イギリス領ホンジュラスは明らかにイギリスの主権下にあると主張した。しかし、グアテマラは1945年の憲法で、イギリス領ホンジュラスがグアテマラの23番目の県であると述べた。1948年2月、グアテマラが侵攻し強制併合する恐れがあったため、イギリスはグロスタシャー連隊第2大隊から2隊を投入して対応した[4][5]

ベリーズとグアテマラ

1961年にイギリスとグアテマラは再び交渉を始めたが、イギリス領ホンジュラスの代表者はこの交渉で発言することはなかった。その結果、1965年にアメリカ大統領リンドン・ジョンソンが調停に応じ、グアテマラに国内安全保障、防衛、対外関係を含む分野で新たに独立した国を支配権を与える条約案を提示した。しかし、イギリス領ホンジュラスの全ての政党はこの提案を非難した[4]

1969年に始まった一連の会議は、グアテマラの侵攻の可能性をめぐって緊張が高まった1972年に突然終了した[6]。1973年に話し合いが再開されたが、1975年に再び緊張が高まり中断した[5]。1975年から1981年にかけて、ベリーズ政府とイギリス政府は、グアテマラの軍事政権の対応に不満を抱き、ジャマイカでのイギリス連邦政府首脳会議、ペルーでの非同盟運動大臣会議、国際連合の会議などの国際フォーラムで自決のための主張を述べ始めた。

非同盟運動の支援は不可欠であることを証明し、また国連での成功を保証した[4]。ラテンアメリカ諸国は当初グアテマラを支持していたが、キューバメキシコパナマニカラグアは後にベリーズ独立への明確な支持を表明した。1980年11月、グアテマラが完全に孤立した状態で、最終的に国連は1981年の次の会合の前に、ベリーズの全ての土地をベリーズの領土として独立を要求する決議を可決した[4]

最後の試みはベリーズ独立の前にグアテマラとの合意に達するために行われ、主張協定と呼ばれる提案は1981年3月11日に開始された。しかし、グアテマラ政府は協定の批准を拒否して交渉から離脱し、ベリーズではこれに反対して暴力的なデモが起こった。

経済

イギリス領ホンジュラスの経済は、主に林業が中心であった。当初は、染料に使われる丸太に焦点が置かれた。1770年代に丸太の価格が下落したため、マホガニーの伐採にシフトし、20世紀半ばまで経済の中心的な役割を果たすこととなった。マホガニーの伐採は労働集約型であったため、イギリスのカリブ海植民地を中心としたアフリカ人奴隷の輸入も大幅に増加した。非常に過酷な労働状態であったため、1765年から1820年までで4回の奴隷反乱が起こった。最終的に奴隷制は1838年に廃止された。植民地時代の税制度や貿易制限のために商業的農業の収益性が悪かったため、マホガニーの輸出が経済の中心として続けられた。1860年代に植民地当局が奨励策を講じた結果、南北戦争中とその後にアメリカ南部(特にルイジアナ)から多くのアメリカ人が流入することになった。アメリカ連合国のイギリス領ホンジュラスへの入植は、植民地に大規模な砂糖生産を導入し、それまで他の産業が失敗していたところでも採算が取れることを証明した。

経済の多様化が進まなかったことで、植民地はマホガニーの市況に大きく左右されることになった。1930年代の世界恐慌と、1931年に発生した破壊的なハリケーンによって、経済はさらに落ち込み、また、生活水準はすでに低かった。1914年以降、林業は第二次世界大戦中(1939年-1945年)を除き、衰退の一途をたどっていた。1950年代になるとようやく農業が経済の中心となり、1970年代には漁業が盛んになった。第二次世界大戦後の農地改革が、この経済拡大を後押しした。

人口統計

1790年の国勢調査によると、イギリス領ホンジュラスの人口の4分の3は「クリオーリョ」として知られる混血の人々であった。彼らは、かつて、そして今でもヨーロッパ人男性と奴隷化されたアフリカ人女性の生物学的子孫である、ベリーズ・クリオーリョの祖先である。ベリーズ・クリオーリョの元となったヨーロッパ人は、主にイギリス人ポルトガル人スペイン人フランス人の男性で構成されていた。

1807年の奴隷貿易廃止、高死亡率、低出生率により、アフリカ系民族の人口は大幅に減少した。白人の割合は約10%を一貫して維持した。人口の最大部分はメスティーソで、現代のベリーズの約50%を占めている。マヤ人はまだベリーズに存在し、人口の約11%を占めている。

植民地の人口は、常にかなり少なかった。1790年には約4,000人で、1856年には2万人と推定された。そして1931年には5万人強、1946年には6万人弱に増えた。しかし、1970年には12万人弱と倍増した。1980年の独立前夜には、14万5千人を超えていた。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ “Uniformity and Co-Operation in the Census Methods of the Republics of the American Continent”. American Statistical Association. pp. 305–308 (1908年). 2013年12月26日閲覧。
  2. ^ CARICOM - Member Country Profile - BELIZE Archived 19 March 2015 at the Wayback Machine., Caribbean Community. Accessed 23 June 2015.
  3. ^ Twigg, Alan (2006). Understanding Belize: A Historical Guide. Madeira Park, BC: Harbour Publishing. pp. 57–58. ISBN 1550173251 
  4. ^ a b c d e Bolland, Nigel. "Belize: Historical Setting". In A Country Study: Belize (Tim Merrill, editor). Library of Congress Federal Research Division (January 1992). This article incorporates text from this source, which is in the public domain.
  5. ^ a b British Honduras Archived 15 April 2014 at the Wayback Machine.. Britains-smallwars.com.
  6. ^ White, Rowland (2010). Phoenix squadron. Bantam Press. ISBN 978-0552152907 

さらに読む

  • Jayne, Kingsley Garland (1911). "British Honduras" . Encyclopædia Britannica (英語). Vol. 4 (11th ed.). pp. 615–616.
  • Charles Knight, ed. (1866). "British Honduras". English Cyclopaedia. Vol. 3: Geography. London: Bradbury, Evans, & Co. hdl:2027/nyp.33433000064802。

外部リンク

  • Government of Belize website
  • Belize at The Commonwealth
  • U.S. Library of Congress country study
  • "A History of Belize" at Naturalight Productions' Belize tourism website
  • Jesuit mission picture archives, early 20th century
  • British Honduras Paper Money

* 現在は英連邦王国  ·   現在はイギリス連邦の一員

ヨーロッパ

12世紀
1337-1453  フランス

18世紀
1708–1757  メノルカ島
1713-  ジブラルタル
1763–1782  メノルカ島
1798–1802  メノルカ島

19世紀
1800–1964  マルタ直轄植民地
1801-1921  アイルランド
1807–1890  ヘルゴラント島
1809–1864  イオニア諸島合衆国

20世紀
1921-1937  アイルランド自由国

北アメリカ

17世紀
1607–1776  バージニア
1610–1907  ニューファンドランド
1619-  バミューダ諸島
1620–1691  プリマス
1629–1691  マサチューセッツ湾植民地
1632–1776  メリーランド
1636–1776  コネチカット
1636–1776  ロードアイランド
1637–1662  ニューヘイブン植民地
1663–1712  カロライナ
1664–1776  ニューヨーク
1665–1674 及び 1702-1776  ニュージャージー
1670–1870  ルパート・ランド
1674–1702  東ジャージー
1674–1702  西ジャージー
1680–1776  ニューハンプシャー
1681–1776  ペンシルベニア
1686–1689  ニューイングランド
1691–1776  マサチューセッツ

18世紀
1701–1776  デラウェア
1712–1776  ノースカロライナ
1712–1776  サウスカロライナ
1713–1867  ノバスコシア
1733–1776  ジョージア
1763–1873  プリンスエドワード諸島
1763–1791  ケベック植民地
1763–1783  東フロリダ
1763–1783  西フロリダ
1784–1867  ニューブランズウィック
1791–1841  ローワー・カナダ
1791–1841  アッパー・カナダ

19世紀
1818–1846  コロンビア地区 / オレゴン・カントリー1
1841–1867  カナダ植民地
1849–1866  バンクーバー諸島
1853–1863  クイーンシャーロット諸島植民地
1858–1866  ブリティッシュ・コロンビア領
1859–1870  北西領
1862–1863  スティキン領
1866–1871  バンクーバー島・ブリティッシュコロンビア連合植民地
1867–1931  *カナダ (ドミニオン)2

20世紀
1907–1949  ニューファンドランド3

^1アメリカ合衆国と共同占有。
^21931年、ウェストミンスター憲章によりカナダと他のイギリス自治領は自らの政府を持つ。(イギリス連邦も参照)
^31934年に自治政府を自ら放棄し、1949年にカナダに編入されるまで事実上のイギリス自治領。

ラテンアメリカとカリブ海

17世紀
1605–1979  *セントルシア
1623–1883  セントキッツ・ネイビス
1624–1966  ·バルバドス
1625–1650  セント・クロイ島
1627–1979  *セントビンセント・グレナディーン
1628–1883  セントキッツ・ネイビス
1629–1641  セント・アンドリュー・プロビデンス諸島4
1632-  モントセラト
1632–1860  アンティグア(アンティグア・バーブーダ)
1643–1860  バイア諸島
1650-  アンギラ
1651–1667  ウィロフビーランド(スリナム)
1655–1850  モスキート湾
1655–1962  *ジャマイカ植民地
1666-  イギリス領ヴァージン諸島
1670-  ケイマン諸島
1670–1973  *バハマ
1670–1688  セント・アンドリュー・プロビデンス諸島4
1671–1816  リーワード諸島

18世紀
1762–1974  *グレナダ
1763–1978  ドミニカ
1799-  タークス・カイコス諸島

19世紀
1831–1966  ギアナ(ガイアナ)
1833–1960  ウィンドワード諸島
1833–1960  リーワード諸島
1860–1981  *アンティグア・バーブーダ
1871–1964  ホンジュラス(ベリーズ)
1882–1983  *セントキッツ・ネイビス
1889–1962  トリニダード・トバゴ

20世紀
1958–1962  西インド連邦

^4現在のコロンビアサン・アンドレス・イ・プロビデンシア県

アフリカ

18世紀
1792–1961  シエラレオネ
1795–1803  ケープ植民地

19世紀
1806–1910  ケープ植民地
1816–1965  ガンビア
1856–1910  ナタール植民地
1868–1966  バストランド(レソト)
1874–1957  ゴールド・コースト
1882–1922  エジプト
1884–1966  ベチュアナランド(ボツワナ)
1884–1960  ソマリランド
1887–1897  ズールーランド
1888–1894  マタベレランド
1890–1980  南ローデシア(ジンバブエ)
1890–1962  ウガンダ
1890–1963  ザンジバル(タンザニア)
1891–1964  ニヤサランド(マラウイ)
1891–1907  中央アフリカ
1893–1968  スワジランド
1895–1920  東アフリカ
1899–1956  スーダン

20世紀
1900–1914  北ナイジェリア
1900–1914  南ナイジェリア
1900–1910  オレンジ川植民地
1900–1910  トランスヴァール植民地
1906–1954  ナイジェリア植民地
1910–1931  南アフリカ
1911–1964  北ローデシア(ザンビア)
1914–1954  ナイジェリア
1915–1931  南西アフリカ(ナミビア)
1919–1960  カメルーンズ(カメルーン) 5
1920–1963  ケニア植民地
1922–1961  タンガニーカ(タンザニア) 5
1942-1951  リビア
1949-1951  キレナイカ首長国
1954–1960  ナイジェリア連邦

^5国際連盟委任統治

アジア

17世紀
1685-1824  ブンクル州
スマトラ島

18世紀
1702–1705  コンダオ諸島
1757–1947  西ベンガル(インド)とバングラデシュ
1762–1764  フィリピン
1795–1948  セイロン(スリランカ)
1796–1965  モルディブ

19世紀
1819–1826  マレー半島・シンガポール
1826–1946  海峡植民地
1839–1967  アデン植民地
1841–1997  香港
1841–1941  サラワク王国(マレーシア)
1854-1963  上海租界
1848-1946  ラブアン直轄植民地
1858–1947  イギリス領インド(インド、パキスタン、バングラデシュ、ビルマ)
1860-1943  天津租界
1861-1927  漢口租界
1861-1927  鎮江租界
1861-1927  九江租界
1862-1943  沙面租界
1862-1930  厦門租界
1863-1943  上海共同租界
1882–1963  北ボルネオ(マレーシア)
1885–1946  非連合マレー諸国
1888–1984  ブルネイ・スルターン国
1888–1946  スールー王国
1891–1971  マスカット・オマーン
1892–1971  トルシアル諸国保護領
1895–1946  連合マレー諸国
1898–1930  威海衛租借地
1898-1997  新界租借地
1878–1960  キプロス

20世紀
1902-1943  鼓浪嶼共同租界
1918–1961  クウェート
1920–1932  イラク5
1921–1946  トランスヨルダン5
1923–1948  パレスチナ5
1941-1946  イラン
1945–1946  南ベトナム
1946–1948  マラヤ連合
1946–1952  連合国として日本占領
1946–1963  サラワク(マレーシア)
1948–1957  マラヤ連邦(マレーシア)
since 1960  アクロティリおよびデケリア(かつてのキプロスの一部)
since 1965  イギリス領インド洋地域

^5国際連盟委任統治

オセアニア

18世紀
1788–1901  ニューサウスウェールズ

19世紀
1803–1901  ヴァン・ディーメンズ・ランド/タスマニア
1807–1863  オークランド諸島6
1824–1980  ニューヘブリディーズ諸島(バヌアツ)
1824–1901  クイーンズランド
1829–1901  スワン川植民地/西オーストラリア
1836–1901  南オーストラリア
since 1838  ピトケアン諸島
1841–1907  ニュージーランド植民地
1851–1901  ビクトリア
1874–1970  フィジー7
1877–1976  イギリス領西太平洋
1884–1949  パプア領
1888–1965  クック諸島6
1889–1948  トケラウ6
1892–1979  ギルバート・エリス諸島8
1893–1978  イギリス領ソロモン諸島9

20世紀
1900–1970  トンガ
1900–1974  ニウエ6
1901–1942  *コモンウェルス・オブ・オーストラリア
1907–1953  *ニュージーランド
1919–1942  ナウル
1945–1968  ナウル
1919–1949  ニューギニア領
1949–1975  パプアニューギニア領10

^6現在はニュージーランド王冠の一部
^7延期メンバー
^8現在はキリバスツバル
^9現在はソロモン諸島
^10現在はパプアニューギニアの一部

南極大陸と南大西洋

17世紀
1659-  セントヘレナ

19世紀
1815-  アセンション島11
1816-  トリスタンダクーニャ11
1833-  フォークランド諸島12

20世紀
1908-  イギリス領南極地域1314
1908-  サウスジョージア・サウスサンドウィッチ諸島1213

^111922年(アセンション島)よりセントヘレナの、1938年より(トリスタンダクーニャ)の属領
^12フォークランド戦争中の1982年4月から6月までアルゼンチンの占領下
^131908年より主張されている
^14南極条約により領土主権や請求権は凍結されている